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2005年10月24日

2005年度同志社大学山岳部夏合宿






日時(予定) : 2005年8月20日〜26日(予備日含む)

参加者 : 桝田 憲明(2回生)

       八木 貴大(2回生)

       竹中 貴広(2回生)

       石川 敬三(1回生)

       高畑 槙雄(1回生)





コース(予定) : 20日  京都からJRにて高山へ.バスにて新穂高温泉

徒歩にてワサビ平へ.(テント泊)

           21日  ワサビ平〜笠新道〜杓子平〜笠ヶ岳(テント泊)

           22日  笠ヶ岳〜抜戸岳〜秩父平〜弓折岳〜双六小屋〜

双六岳〜双六小屋(テント泊)

           23日  双六岳〜西鎌尾根〜槍ヶ岳山荘〜槍ヶ岳山頂〜

槍ヶ岳山荘〜飛騨乗越〜槍平小屋(テント泊)

           24日  槍平小屋〜白出沢出合〜穂高平避難小屋〜

新穂高温泉.バスにて高山,高速バスにて京都へ.

           25日  予備日

           26日  予備日







予定では上に書いたようなコースを通るはずでしたが,22日の朝(笠ヶ岳)に天気の都合上エスケープを決定しました.エスケープのコースは21日目の逆ルートで笠新道を降り,22日のうちに京都まで帰還しました.丁度台風が本州に向かっている最中であり,さらに前線の影響で天気が大きくくずれていました.停滞も考えましたが,今日降りないと台風の影響で下山できなくなるのでは?と考え急遽エスケープする判断をとりました.幸い22日は雷は鳴っておらず,大雨の中無事に下山することができました.

(文章   桝田 憲明)

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2005年10月04日

ムスターグ・アタ峰トレッキング隊報告

     ムスターグ・アタ峰トレッキング隊の構成

● 参加隊員  同志社山岳会関係者
   (敬称略)
           01; 室野 進    (昭和33年経済卒)
           02; 前原 勉    (昭和35年経済卒)
           03; 植西 武司   (昭和36年経済卒)
           04; 鈴木 貴統   (昭和36年文学卒)
           05; 野田 純一   (同志社工学部教授)
           06; 清水 正弘   (昭和57年文学卒)

           一般参加者

           07; 松田 治  (広島大学名誉教授・東京大学スキー山岳部OB)
           08; 田中 聡子 (看護師)

● 期間     2005年07月15日出発   7月25日帰国   総日数11日間

● 行程概要  成田→イスラマバード→ギルギット→フンザ→クンジェラブ峠→パミール高原→
          ムスターグ・アタ峰山麓トレッキング→カシュガル(タクラマカン砂漠)→ウルムチ
           →北京→成田


〔続きを読む〕をクリックしてください。

         


● 7月15日、成田空港にて遠征隊3名(宮川兄は先発され、現地にて合流予定)と集合しました。
驚いたのは今成兄、河野兄、山火兄のファンクラブの女性達でした。 まるで韓流スターなみの見送りでした。この日、案の定パキスタン航空は3時間遅れてくれました。
しかし、先発の宮川兄のケースでは往路の北京で10時間以上機内で待たされた上 に宿泊で強要れたらしいのです。
我々は一応日付けの変わらないうちにイスラマバードに到着できたのです。

● 7月16日、前日の睡眠不足の為ほとんど記憶がありません。イスラマードからべシャムまでほとんど車内で爆睡状態だったのです。

● 7月17日、この日はカラコルム・ハイウェイ(単に標高の高い場所をにあるから、という説もありますが・・)をひた走りました。時折車内は歓声に包まれたのです。まず雲間から顔を出してくれたのは「栄光と悲劇の山」ドイツ隊による数多くの物語の舞台となった、ナンガ・パルパットです。
昨日の睡眠不足の頭がスキッとしてきました。「天使の首飾り」と称せられる、ラカポシ峰から流れ出る川の岸辺の茶屋ではのんびりしました。チャイの香りが風に乗ってフンザの方角へ流れてゆきました。至福の30分休憩でした。
この日は不老長寿の里・フンザまで移動しました。

● 7月18日、午前中はフンザの谷を巡りました。バルティット古城からの眺めは、それだけで長寿の薬になるくらいの壮観さでした。午後には国境のスストまで移動しました。この日のお月さんは見事なくらい輝いていました。

● 7月19日、さあ、いよいよカラコルム山脈からパミール高原への旅の日です。車はどんどん標高を上げてゆきます。手元の高度計のデジタル表示がめまぐるしく動きました。
4900mのクンジェラブ峠はさずがに肌寒く、まわりの山々は雪で覆われてもいました。パミール高原に車が入ってゆくと、道路工事進行中の為に寸断された道に難渋しました。
しかしキルギスタンやアフガンニスタンとの国境の峰々が進行方向左手にいつまでも展開してくれ、まったく飽きるよいうことがありません。ふと近くに目を落とすと、わだちのある道でロバに乗った人が手を振っていたりします。
シルクロードの歴史上重要な町でもある、タシュクルガン着いたのは、すでに夕闇が迫る頃でした。中国側税関の官吏の横柄な態度にすきっ腹がより一層ハングリーでアングリーさを増したのでした。
ここで本日の行程終了か、と思いきや、中国の旅はそんなに甘くありませんでした。非情にも現地のガイドは、さらに3時間ほどバ スに揺られると到着できる、ムスターグ・アタ山麓のスバシ村が本日の最終目的地 であると教えてくれたのです。
異様なぐらい輝く星空をスバシ村で見上げたのはすっかり日付けが変わっていた頃でした。


● 7月20日、朝起きてみると、まさに巨魁という表現がぴったりとするムスターグ・アタ峰の雄姿に朝陽があたらんとする頃でした。その朝陽もなんとパミール高原のもうひとつの秀峰である、コングール連峰の上から差し込んでいました。
この日は高所順応行動をする遠征隊と一緒に氷河の末端にあるBCまでのトレッキング日です。
暑いくらいの天候に恵まれ、おのおの自分のペースでの行動です。ラクダの背に揺られる人、高山植物の写真を取る人、スケッチブックに筆を走らせる人、それぞれが無理のないトレッキングを堪能していました。
スバシ村のキャンプ地での夕食時には、日焼けした顔が揃っていました。

● 7月21日、朝ごはんの後、遠征隊に別れを告げ一路カシュガルの町へと移動しました。途中のゲズ
谷では、まるで空から落ちてくるかのような威容さで天山山脈や崑崙山脈が展開していました。

● 7月22日、朝からタクラマカン砂漠を実感する小旅行に出掛けました。カシュガルから一路東へと針路をとり車で約3時間弱。ようやく広大な砂漠の西端に辿りつきました。
前原兄のタクラマカン砂漠への強い思いがみんなにも伝染し、それから小一時間砂漠の中をみんなで歩き、古きシルクロード交易の時代に想いを馳せることができました。砂漠の縁の集落での休憩も思わぬ僥倖でした。バスを止めた場所に集まってきた集落の人たちの慎ましやかな、そして誇りある態度には清涼感を感じました。
小さな、いい旅でした。
午後からはおもだった名所を巡りました。


● 7月23日、カシュガルから空路ウルムチへと移動しました。ウルムチは現在中国の中でも一番町の変容振りが激しいといわれるくらい、都市化のスピードが加速していました。

● 7月24日、西域を離れ空路北京へと飛びました。

● 7月25日、それほどに遅れることなく、成田空港に到着できました。成田空港にて解散となりまし た。 

報告の最後に、同道を心よく迎えてくれました、ムスターグ・アタ遠征隊の方々、ならびに出発前になにかとご協力いただいた同志社大学山岳会に対し改めて感謝の意をお伝えしたいと存じます。

文責 : トレッキング隊お世話係り ; 清水 正弘
       

投稿者 ob : 19:41 | コメント (0) | トラックバック



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