同志社大学山岳会の歩み
主な登山史
・1960年以前
・1960-1979年
・1980-1999年
・2000年-
同志社創立。
同志社大学体育会山岳部創部。
朝鮮半島白頭山(2744m)積雪期登頂
千島列島パラムシル島南西部の千倉火山登山。その他、アライト、シュムシュ島で探検。
台湾遠征。新高主山、東山北稜、大覇尖山と次高山縦走、また清水山や南湖大山などで岩場を開拓
ジャワなど南洋諸島に遠征。チャメン山登山。
朝鮮にて小白山脈縦走後、朝鮮北部の甲山・長津高原にて縦走登山
朝鮮・小白山脈縦走、金剛山で岩壁登攀。
樺太・東北山脈探検。トナカイ橇でアプローチし、振戸山・北沖見山・川崎山に登山。
千島列島、アララト島、子揚山登山。
高商山岳部による台湾登山・中央山脈縦走。
太平洋戦争勃発。山岳部は山岳跋渉班と改称される。
終戦
学制改革によって、高商や各専門学校は大学に再編成。各山岳部も同志社大学体育会山岳部に1本化されて、新たにスタートする。
西北ネパール最奥部秘境のアピ(7132m)初登頂。

オーストリア隊が試登に失敗した西北ネパール・サイパル(7040m)初登頂。日本人初の西ネパール横断踏査。総距離560キロ
同志社大学理工学研究所・山岳部合同でアラスカ学術登山実施。東部のブラックバーン(5038m)第2登、リーガル(4209m)初登頂。氷河調査なども実施。
南米ペルーアンデス・ヴィルカバンバ山群のサルカンタイ(6271m)北東稜の初登攀、メリソス(5310m)、キシュアール(5775m)ネバドブランコ(5250m)の3座に初登頂。アマゾン河最大の支流ウルバンバ河1300kmをゴムボートで初の完全降下。
ネパールヒマラヤ・ダウラギリ山群及びカンジロバ山群、西ネパールの農村を調査。
マレーシア・ボルネオ島キナバル(4010m)東山稜より登頂。ほか7座登頂。
ヒマラヤ遠征、特に8000m峰14座は国単位の登山隊しか行えなかった当時、単一山岳会として中西ネパールの巨峰ダウラギリ(8172m)を世界第2登。ポストモンスーン期の初登頂。
また、日本山岳会隊に参加した当会員の平林克敏が植村直己氏(明治大山岳部OB)らとエベレスト(8848m)日本人初登頂に成功。
パキスタン・ヒンドゥラージ・ヒマラヤ ガルムッシュ(6244m)第2登。半年あまりパキスタン、ネパール、インド・アッサムなどを踏査。
インド・ヒマラヤトレッキング。韓国・雪岳山登山。
1979年に解禁された中国の四川省・チュンライ山脈の主峰、四姑娘山(スークーニャンシャン)(6250m)に、春と夏の2回連続して登山隊を派遣。1981年7月28日、南東稜から初登頂に成功。

・報告書「四姑娘山1981」1982

胡耀邦総書記の支援を受け、中国登山協会、同志社大学山岳会、京都大学学士山岳会が合同で西チベットの納木那尼(ナムナニ)(7694m・英名グルラマンンダータ)を目標に日中合同登山隊を組織。偵察のために先遣隊を派遣
日中友好ナムナニ峰(7694m)合同登山。納木那尼(ナムナニ)初登頂。周辺の学術調査も行う。
東チベットの康格多山(カント)(7055m)偵察
四姑娘山域合宿。トジュトグー峰(5484m)に登頂(10月19日)、および周辺トレッキング。
・報告書「DAC報告 No.23 四姑娘山域合宿特集号 1984~1987」1989
3月下旬、中国・インド国境(マクマホンライン)上に位置し、許可が難しかった東チベットの康格多山(カント)(7055m)初登頂。周辺学術調査実施。
旧ソ連カムチャツカ半島にカムチャツカ登山の協議と偵察のために訪ソする。

政治的理由で入域困難だったロシア・カムチャツカ半島で、旧ソビエト連邦科学アカデミー極東支部と合同で学術登山を実施。半島最高峰クリュチェフスカヤ・ソプカ(4750m)に積雪期登頂。周辺の火山、地質、大気、土壌、動植物のほか、少数民族も調査。シベリア・バージャール山脈でハバロフスク山岳会と合同登山。数座の山に登頂後、初登頂した山を同志社校旗の型にちなんでクローバー(2119m)と名付ける。
当会員の佐野崇が初めて海外登山に臨んだ日本山岳会青年部隊で世界第2の高峰K2(8611m)南南東稜より登頂。また当会員有志で南米ボリビア・アンデス イリマニ(6439m)登山
中国チベット自治区・ヤルツァンポ河源流域の未踏峰、絨来康日(ロンライカンリ)(6859m)偵察。
同志社大学理工学研究所と合同で同志社大学チベット・ヤルツァンポ河源流域学術登山を実施。絨来康日(ロンライカンリ)試登。
同志社大学チベット・ヤルツァンポ河源流域学術登山隊2002を派遣。再び、絨来康日(ロンライカンリ)の初登頂を目指す。2002年9月24日午前11時40 分(快晴)、東稜からの初登頂に成功。なお現地調査の結果、登頂した6859m峰の山名をカキュ・カンリ(Kaqur Kangri)と改めた。中国チベット自治区の絨来康日山群の主峰である。なお同峰は、ネパール側ではカンティ・ヒマール(Kanti HimarlもしくはKanti Himal Highest)と呼称されている。

・報告書「カキュ・カンリ 中国チベット自治区絨来康日山群主峰 初登頂の記録」2003
・日本山岳会:「山岳」Vol 98, 2003 PP 115-128

西チベット学術登山隊2004(日本山岳会100周年記念事業・日本山岳会関西支部70周年記念事業)に当会から3名の会員が参加。2座の未踏峰、パチュムハム(6529m)とギャンゾンカン(6123m)の初登頂に成功。パチュムハムでは、岩稜から始まり高度を増すにつれて雪稜へと変化する北陵をたどっての登頂である。ギャンゾンカンはチベットでは稀な岩峰であり高度差約400mの南東壁に、1か所のA1以外は全てフリークライミング(5.7~5.10d、全10ピッチ)でルート開拓しての登頂である。
併せて、約100年前に当時は鎖国であったチベットに単身でネパールから国境を越えて密入国した僧侶、河口慧海師の足跡調査を行った。
・報告書「チャンタンの蒼い空 西チベット学術登山隊2004全記録」2005

同志社大学山岳会と日本山岳会関西支部の合同で、クビ・ツァンポ源流域学術登山隊2007を派遣。チベット、ネパール国境の未踏峰クビ・カンリ(Kubi Kangri, 6721m)の初登頂に成功。東尾根から縦走形式での登頂である。また周辺の未踏峰2座(アブシ(Absi, 6254m)とランタチェン(Langta Chen, 6284m))への試登も行った。登山活動終了後、河口慧海師の足跡調査、チベットの高峰ルンポ・カンリ(Loinbo Kangri, 7095m)西面の偵察も実施した。
なおクビ・カンリの山名は、クビ・ツァンポ源流に位置する主峰に由来して名付けている。ネパール側では、2003年にエベレスト初登頂50周年を記念してネパールで解禁された50峰のうちのLachama Chuli (N30 08 08, E82 11 58)と同一のピークである。同峰には、1983年に西北ネパール女子学術登山隊(遠藤京子隊長)がチャンラ峰として登頂を目指した記録が残されている。同登山隊の資料では6715mとされていたが、最新の地図では6721mと付されている。

登頂の翌日、和田隊長を交えての記念撮影
・登山隊HP:http://doushishasangaku.kitunebi.com/
・活動報告Blog:http://kubikanri2007.blog.eonet.jp/
同志社大学西北ネパール登山隊2010を派遣。現役学生だけでメンバー構成して、西ネパール・フムラ地方とチベットの国境に位置する未踏峰チャンラ(6563m, N30 18 11, E82 07 44)を目指す。2010年9月27日午前11時43分、初登頂に成功。
・登山隊HP:http://dacwesternnepalexp2010.web.fc2.com/
同志社大学極西ネパール登山隊2015を派遣。5人の現役学生かつ海外遠征未経験者のみのメンバー構成で西ネパールの未踏峰Aichyn(6055m, N30 16 15, E81 37 24 *緯度と経度は「Mountainneering in Nepal Facts&Figures」 p237より引用)の世界初登頂に成功。Aichynは西ネパール(Western Nepal)フムラ群チャンワタン山域(Humla, Chanwathan)の山で、2014年5月の新解禁峰104座(New Peaks Open to climb)のNo.88にあたる。

ACから望むAichyn北面
現地時刻の2015年9月3日13時12分に一次隊(仙田裕樹・齋藤慎太郎・高伽耶・宇野悠真)が初登頂。ルートは5955m無名峰まで上って西稜を経て頂上へ至った。また9月8日12時54分にも二次隊(玉置悠人・仙田)が山頂を踏んで全員登頂に成功した。ルートは西稜のコルまで氷壁を直登して西稜を経て頂上へ至った。
バックキャラバンでは周辺の無名峰の偵察も行った。また道中では我々と同じく、Aichynの登頂を目指すフランス隊とも遭遇。その後、無事に西稜から登頂したようである。
・登山隊Blog「同志社大学体育会山岳部 西ネパール遠征報告」
http://blog.goo.ne.jp/dac_2015expedition
・「同志社大学体育会山岳部公式ブログ」
http://dac.blog.eonet.jp/
・日本山岳会:「山」No.845(10月号), 2015
http://jac.or.jp/info/iinkai/kaiho/1510YAMAr1.pdf
・同志社大学HP
https://www.doshisha.ac.jp/news/2015/1102/news-detail-2871.html
・1960年以前
・1960-1979年
・1980-1999年
・2000年-
■1875年
同志社創立。
■1929年
同志社大学体育会山岳部創部。
■1930年
朝鮮半島白頭山(2744m)積雪期登頂
■1932―33年
千島列島パラムシル島南西部の千倉火山登山。その他、アライト、シュムシュ島で探検。
■1933年
台湾遠征。新高主山、東山北稜、大覇尖山と次高山縦走、また清水山や南湖大山などで岩場を開拓
■1934年
ジャワなど南洋諸島に遠征。チャメン山登山。
朝鮮にて小白山脈縦走後、朝鮮北部の甲山・長津高原にて縦走登山
■1935年
朝鮮・小白山脈縦走、金剛山で岩壁登攀。
樺太・東北山脈探検。トナカイ橇でアプローチし、振戸山・北沖見山・川崎山に登山。
■1936年
千島列島、アララト島、子揚山登山。
■1940年
高商山岳部による台湾登山・中央山脈縦走。
■1941年
太平洋戦争勃発。山岳部は山岳跋渉班と改称される。
■1945年
終戦
■1949年
学制改革によって、高商や各専門学校は大学に再編成。各山岳部も同志社大学体育会山岳部に1本化されて、新たにスタートする。
■1960年
西北ネパール最奥部秘境のアピ(7132m)初登頂。

■1963年
オーストリア隊が試登に失敗した西北ネパール・サイパル(7040m)初登頂。日本人初の西ネパール横断踏査。総距離560キロ
■1964年
同志社大学理工学研究所・山岳部合同でアラスカ学術登山実施。東部のブラックバーン(5038m)第2登、リーガル(4209m)初登頂。氷河調査なども実施。
■1965年
南米ペルーアンデス・ヴィルカバンバ山群のサルカンタイ(6271m)北東稜の初登攀、メリソス(5310m)、キシュアール(5775m)ネバドブランコ(5250m)の3座に初登頂。アマゾン河最大の支流ウルバンバ河1300kmをゴムボートで初の完全降下。
■1967年
ネパールヒマラヤ・ダウラギリ山群及びカンジロバ山群、西ネパールの農村を調査。
■1969年
マレーシア・ボルネオ島キナバル(4010m)東山稜より登頂。ほか7座登頂。
■1970年
ヒマラヤ遠征、特に8000m峰14座は国単位の登山隊しか行えなかった当時、単一山岳会として中西ネパールの巨峰ダウラギリ(8172m)を世界第2登。ポストモンスーン期の初登頂。
また、日本山岳会隊に参加した当会員の平林克敏が植村直己氏(明治大山岳部OB)らとエベレスト(8848m)日本人初登頂に成功。
■1977年
パキスタン・ヒンドゥラージ・ヒマラヤ ガルムッシュ(6244m)第2登。半年あまりパキスタン、ネパール、インド・アッサムなどを踏査。
■1978年
インド・ヒマラヤトレッキング。韓国・雪岳山登山。
■1981年
1979年に解禁された中国の四川省・チュンライ山脈の主峰、四姑娘山(スークーニャンシャン)(6250m)に、春と夏の2回連続して登山隊を派遣。1981年7月28日、南東稜から初登頂に成功。

・報告書「四姑娘山1981」1982

■1984年
胡耀邦総書記の支援を受け、中国登山協会、同志社大学山岳会、京都大学学士山岳会が合同で西チベットの納木那尼(ナムナニ)(7694m・英名グルラマンンダータ)を目標に日中合同登山隊を組織。偵察のために先遣隊を派遣
■1985年
日中友好ナムナニ峰(7694m)合同登山。納木那尼(ナムナニ)初登頂。周辺の学術調査も行う。
■1986年
東チベットの康格多山(カント)(7055m)偵察
■1987年
四姑娘山域合宿。トジュトグー峰(5484m)に登頂(10月19日)、および周辺トレッキング。
・報告書「DAC報告 No.23 四姑娘山域合宿特集号 1984~1987」1989
■1988年
3月下旬、中国・インド国境(マクマホンライン)上に位置し、許可が難しかった東チベットの康格多山(カント)(7055m)初登頂。周辺学術調査実施。
■1990年
旧ソ連カムチャツカ半島にカムチャツカ登山の協議と偵察のために訪ソする。

■1991年
政治的理由で入域困難だったロシア・カムチャツカ半島で、旧ソビエト連邦科学アカデミー極東支部と合同で学術登山を実施。半島最高峰クリュチェフスカヤ・ソプカ(4750m)に積雪期登頂。周辺の火山、地質、大気、土壌、動植物のほか、少数民族も調査。シベリア・バージャール山脈でハバロフスク山岳会と合同登山。数座の山に登頂後、初登頂した山を同志社校旗の型にちなんでクローバー(2119m)と名付ける。
■1996年
当会員の佐野崇が初めて海外登山に臨んだ日本山岳会青年部隊で世界第2の高峰K2(8611m)南南東稜より登頂。また当会員有志で南米ボリビア・アンデス イリマニ(6439m)登山
■1997年
中国チベット自治区・ヤルツァンポ河源流域の未踏峰、絨来康日(ロンライカンリ)(6859m)偵察。
■1998年
同志社大学理工学研究所と合同で同志社大学チベット・ヤルツァンポ河源流域学術登山を実施。絨来康日(ロンライカンリ)試登。
■2002年
同志社大学チベット・ヤルツァンポ河源流域学術登山隊2002を派遣。再び、絨来康日(ロンライカンリ)の初登頂を目指す。2002年9月24日午前11時40 分(快晴)、東稜からの初登頂に成功。なお現地調査の結果、登頂した6859m峰の山名をカキュ・カンリ(Kaqur Kangri)と改めた。中国チベット自治区の絨来康日山群の主峰である。なお同峰は、ネパール側ではカンティ・ヒマール(Kanti HimarlもしくはKanti Himal Highest)と呼称されている。

・報告書「カキュ・カンリ 中国チベット自治区絨来康日山群主峰 初登頂の記録」2003
・日本山岳会:「山岳」Vol 98, 2003 PP 115-128

■2004年
西チベット学術登山隊2004(日本山岳会100周年記念事業・日本山岳会関西支部70周年記念事業)に当会から3名の会員が参加。2座の未踏峰、パチュムハム(6529m)とギャンゾンカン(6123m)の初登頂に成功。パチュムハムでは、岩稜から始まり高度を増すにつれて雪稜へと変化する北陵をたどっての登頂である。ギャンゾンカンはチベットでは稀な岩峰であり高度差約400mの南東壁に、1か所のA1以外は全てフリークライミング(5.7~5.10d、全10ピッチ)でルート開拓しての登頂である。
併せて、約100年前に当時は鎖国であったチベットに単身でネパールから国境を越えて密入国した僧侶、河口慧海師の足跡調査を行った。
・報告書「チャンタンの蒼い空 西チベット学術登山隊2004全記録」2005

■2007年
同志社大学山岳会と日本山岳会関西支部の合同で、クビ・ツァンポ源流域学術登山隊2007を派遣。チベット、ネパール国境の未踏峰クビ・カンリ(Kubi Kangri, 6721m)の初登頂に成功。東尾根から縦走形式での登頂である。また周辺の未踏峰2座(アブシ(Absi, 6254m)とランタチェン(Langta Chen, 6284m))への試登も行った。登山活動終了後、河口慧海師の足跡調査、チベットの高峰ルンポ・カンリ(Loinbo Kangri, 7095m)西面の偵察も実施した。
なおクビ・カンリの山名は、クビ・ツァンポ源流に位置する主峰に由来して名付けている。ネパール側では、2003年にエベレスト初登頂50周年を記念してネパールで解禁された50峰のうちのLachama Chuli (N30 08 08, E82 11 58)と同一のピークである。同峰には、1983年に西北ネパール女子学術登山隊(遠藤京子隊長)がチャンラ峰として登頂を目指した記録が残されている。同登山隊の資料では6715mとされていたが、最新の地図では6721mと付されている。

登頂の翌日、和田隊長を交えての記念撮影
・登山隊HP:http://doushishasangaku.kitunebi.com/
・活動報告Blog:http://kubikanri2007.blog.eonet.jp/
■2010年
同志社大学西北ネパール登山隊2010を派遣。現役学生だけでメンバー構成して、西ネパール・フムラ地方とチベットの国境に位置する未踏峰チャンラ(6563m, N30 18 11, E82 07 44)を目指す。2010年9月27日午前11時43分、初登頂に成功。
・登山隊HP:http://dacwesternnepalexp2010.web.fc2.com/
■2015年
同志社大学極西ネパール登山隊2015を派遣。5人の現役学生かつ海外遠征未経験者のみのメンバー構成で西ネパールの未踏峰Aichyn(6055m, N30 16 15, E81 37 24 *緯度と経度は「Mountainneering in Nepal Facts&Figures」 p237より引用)の世界初登頂に成功。Aichynは西ネパール(Western Nepal)フムラ群チャンワタン山域(Humla, Chanwathan)の山で、2014年5月の新解禁峰104座(New Peaks Open to climb)のNo.88にあたる。

ACから望むAichyn北面
現地時刻の2015年9月3日13時12分に一次隊(仙田裕樹・齋藤慎太郎・高伽耶・宇野悠真)が初登頂。ルートは5955m無名峰まで上って西稜を経て頂上へ至った。また9月8日12時54分にも二次隊(玉置悠人・仙田)が山頂を踏んで全員登頂に成功した。ルートは西稜のコルまで氷壁を直登して西稜を経て頂上へ至った。
バックキャラバンでは周辺の無名峰の偵察も行った。また道中では我々と同じく、Aichynの登頂を目指すフランス隊とも遭遇。その後、無事に西稜から登頂したようである。
・登山隊Blog「同志社大学体育会山岳部 西ネパール遠征報告」
http://blog.goo.ne.jp/dac_2015expedition
・「同志社大学体育会山岳部公式ブログ」
http://dac.blog.eonet.jp/
・日本山岳会:「山」No.845(10月号), 2015
http://jac.or.jp/info/iinkai/kaiho/1510YAMAr1.pdf
・同志社大学HP
https://www.doshisha.ac.jp/news/2015/1102/news-detail-2871.html