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春の関東支部会

「春季定例総会の前に関東支部で集まって、意見の交換など」をしよう、「秋山君が東京へ転勤して来ているので」、彼も呼んで・・・と、伊東支部長から連絡をいただきました。
5月26日(火)、定刻の18:30より少し前に「がんこ銀座四丁目店」に着くと、受付の女性が長電話で席の案内をしてもらえず、手持ち無沙汰で突っ立っていると、後ろから「DACの方ですか? 私もDACです」『えっ、私はイマナリだけど・・・』「ナカヤマです」、『ああ、中山君(和俊君84年卒)、船に乗ってる?』「そうです、まだだれも来てないようです」
彼と会ったのは何年前だろうか、名前と船は覚えていたけど、残念ながら顔の記憶は消えていた。
やっと案内されて中へ入ると、「おおイマナリ!久しぶりやなー」、平林会長でした。
すでに、座長の伊東支部長といつものメンバーである加藤勇二さん(1960年卒)、山火君(62年卒)がいて、??・・・思いがけない静岡の鈴木康司さん(61年卒)がお出でになっていて、座席もいつもの倍以上用意されていました。
その後、レギュラーの宮川清彦君(67年卒)に続いて、前泉康一君(73年卒)、秋山泰秀君(監督・83年卒)、川治陽君(86年卒)、真鍋光之君(87年卒)が到着したものの、空席が一つ・・・下村新一郎大先輩(55年卒)のもので、どうやら連絡に手違いがあったらしく、「これから駆けつける」ということになり、取り敢えず開会となりました。
    
6月の総会で会長の職を辞されるという平林会長からの挨拶があり、鈴木さんの音頭でカンパーイ!!
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初参加らしいサントリー勤務の川治君と毎日新聞の真鍋君には、まわりから質問が次々と発せられ、まじめに応対する若い二人は、グラスを空ける間もないほどに引っ張りだこ。
そして、監督の秋山君も。
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しばらくして下村さんが到着し、二度目のカンパイ!!
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会の進行は何となく、平林会長の「慰労会」風となったり、秋山君の激励会になったり、楽しい噂話や昔話に花が咲いたり、近況報告をしたり・・・。
話が戻ったりして、会長への賛辞があったり、執拗な苦言があったり、OB会運営に注文が出たり、現役援助金への疑問が発せられたり、監督へのサポートの提言がされたりと、話は尽きないままにお開きとなりました。
 
以上、関東支部より活動の報告です。
                             今成 征三(62年卒)記
[勝手な思い]
アラセブンやオーバー70同士では、かなり共通の話題があったり理解できる範囲の会話に終始していたと思うのですが、アラフォー、アラファイブ世代のメンバーにとっては、理解のできない昔話をまくし立てる傾向のあるベテランOBに圧倒されたかもしれません。
前泉君との年齢差は一回りで、故安井忠君の遭難時に元気な学生だった記憶が鮮明にあり、その後何度か会っているので話の糸口がありました。
その次の世代の秋山君とは、ほぼ二回り差があるものの、以前に話をしたこともあって、学生のことやクライミングのことを何度かメールで教えてもらっていたので、会話は成り立ったかなと思っています。
中山君については冒頭の出会いのとおりで、川治・真鍋君とは初対面だったので話を聞きたかったのですが、敬遠されたのかほとんど話しをすることが出来ず心残りがあります。
まあ、同じ世代でもこうしたオフィシャルな会合でしか会う機会がないかもしれないので、中山・川治・真鍋君たちがかたまって話しをしている姿もいいものだと感じました。
現役社会人として、山歩きどころではないOBがほとんどでしょうが、青春時代に山で感じた思いを語ったり
すると、エネルギーなどが湧いてくるものではないでしょうか、そして、また(山の)現役に戻れる日が来ると思うので、そのきっかけとしてでも、こうした会合や仲間内の集まりを企画したり参加されることを願っています。
今夜の人のつながりを自分を中心に考えてみると、下村先輩とはアピやサイパルの遠征隊のお手伝いで、大手町の会社へ寄付をいただきに行った。その後、何度も東京で・・・
伊東支部長とは神奈川県出身つながりで、入部した時に関東出身の先輩がいたと聞かされていて、これもアピかサイパルつながりで、英語が堪能な伊東さんにお願いして、ネパール大使館に申請書などの提出に同行していただいた・・・(私自身はアピもサイパルもお手伝いだけです)。
加藤さんは、入部した時の4年生、山へ連れて行ってもらったことはありませんが、自分が参加したダウラギリの時は、勤務先のレンゴー(当時は聯合紙器)へうかがって、雨に濡れても崩れない特製ダンボールを提供していただき、大いに活用させていただいた・・・。
鈴木さんは1年先輩で2年生の5月に西穂へ行った際、白出しコルから一緒に下山した記憶がある・・・。
山火君とは卒業年は一緒、山岳部には2回生からの入部だったが、下宿が近かったのでしょっちゅう行き来していた。ダウラギリの時は勤務していたリケン(理研ピストンリング)に写真を提供し、寄付をもらったりし、近年はムスターグ・アタに同行した・・・。
宮川君とはダウラギリからの付き合い、当時から理論派で若手の中心メンバーだった。彼が外国勤務などで一時疎遠になったが、数年前から復活し国内の山を共に歩き、山火・河野君と共にムスタへ・・・。
宮川君と前泉君とは6年差、前泉君と秋山君とは10年差がある。
その間をつなぐメンバーの参加がないと、会(会合)は継続しにくいのかもしれない。
「○○先輩が参加されるから」「××が参加するから」といった刺激が必要なのでしょう。
その手立てを考えなくてはなりません。
今度の総会出席者の、こうしたつながりを知りたいものです。
現役学生が17人いるといっても、私たちの年代の山岳部とはまるでイメージが違うように思えます。
今どきの山岳部でこれだけの人間が集まれば、既に自立の一歩を踏み出していることでしょう、若者の成長は想像以上に早いものがあります。
ふと思うと「OB会の空洞化」の方が心配になって来た、と感じた集会でもありました。
OB間でも、ある年代では軋轢があったとも聞きますが、新会長にはその辺への配慮もお願いしたいと思っています。
山岳部が4、50年前のような「部」として発展することはあり得ないと断言できるでしょう。
以前から言われていることでしょうが、むしろ「OB会をどうするか」を真剣に討議しなければならないのではと考えます。
勝手な言い草にコメントをいただければ幸いです。
(カメラを持参するのを忘れ、不鮮明なケータイでの写真で申し訳ありません)

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Author:dacob
同志社大学山岳会は同志社大学体育会山岳部のOB会です。

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