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慧海の歩いた道を辿る ①

河口慧海は1900年(明治33年)6月12日、当時厳しい鎖国下にあったチベットの聖都ラサへ向けて、ネパールヒマラヤ・ダウラギリ峰の東を流れるカリガンダキ(河)のほとりにあるマルファ村を出発しています。
当時宿泊したアダム・ナリン氏の家が《河口慧海記念館》として保存されています。

この村へは、1970年秋のDACダウラギリ登山隊に参加し、登頂に成功した折の帰途、訪れたことがあります。
立ち寄った小学校に、日本の児童から送られた絵が貼ってあり、当時、「こんな奥地まで」と思ったものでしたが、現在は日本のNGOによるリンゴ園があって、たわわに実をつけていました。
村の商店では、アップル・パイやリンゴ・ブランデーも売られています。
私たちはジョムソンを経て、蕎麦の花が真っ盛りのダンガルゾンという村に泊まりました。

ダンガルゾンからは、慧海がムカラ坂と呼んだ崖道や「高雪峰が剣を並べた如く」と表現した急峻な峰の斜面を縫うように上がっていきます。
                           1970年 大院工 卒   和田 豊司
                            e-meil : toyoji@kit.hi-ho.ne.jp
(「活動してます」との折り合いがつかず、この欄に寄稿させていただきました。JAC関西支部・西チベット学術登山隊に参加しての記録です。何回続くか未定ですが、頑張ってみます。)

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同志社大学山岳会は同志社大学体育会山岳部のOB会です。

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