恒例 関東支部会員 懇親会
今回の懇親会は、4月から東京勤務となった新卒OB百田君の入社祝い&歓迎会を兼ねて行うことになった。
いつものように、案内の作成・送付や場所などすべての手配は伊東支部長によります。
5月26日(水)、場所は「がんこ 銀座1丁目店」 18時より。
平日の6時開始となると、どれだけの参加があるだろうか?
伊東支部長からの案内状には、加藤勇二、今成征三、宮本光将、山火桂一、東口重信、宮川清彦、山本弘志、細谷寿夫、前泉康一、堺 正幹、広瀬雅彦、(岩本憲彦)、中山和俊、西村邦彦、川治 陽、真鍋光之、美馬英昭、川治和香、吉田陽一、西口正治、百田孝史の21人に送られている。
銀座通りで宮川君と出会い、一緒に店の部屋へ案内されると、既に伊東支部長、加藤勇二さん、山火君、東口君がいて、その後は勤め帰りの秋山監督、中山君と前泉君が顔を見せ、最後に研修中の主賓百田君が駆け込んできて何度目かのカンパイ。

左側 奥より 加藤 伊東支部長 百田 今成 前泉 右側 中山 秋山 東口 山火 宮川
いつもであれば下村先輩と河野の君の姿があるのだが、残念ながらお二人とも昨年故人となってしまわれた。
遅れて到着した会員が座る度にカンパイして話しが弾んできたところで、百田君へ先輩たちが自己紹介することになった。
各人が語る中で、山岳部時代の逸話が飛び出す度にそこに話題が移り会話が広がり、なかなか自己紹介のリレーのバトンタッチが進まない。
それぞれが持っている経験話しが新鮮で、こうした話しを集めたら「山岳会の裏話・生きたDACの歩み」として、「記録」などより読まれるな、と盛り上がったりして話題が尽きない。

宮川先輩と笑顔で話す百田君
山火・東口・今成は同世代で友人関係にあるのため、昔話のネタが次々と飛び出し、話題を左右に振ったりして・・・。

東口町会議員と秋山監督
秋山監督は、現役とのトレーニングでケガをし入院したりしたという、無理せず気をつけて欲しい。
古稀であるはずの東口君は、昨年長野県御田代町議会議員に最年長で初当選して、多忙なのか久しぶりの参加だったが、宮川君とも何度も一緒に山を歩いているので、ここでも話題が途切れることはない。
前泉君とは一回りくらいの違いがあり、宮川君とは山岳部では入れ替わりだったらしい。
会話がより進むには学生時代などの結び付きがあることが望ましい。
それが会合が成功する大きな要素だと思う。
話題が飛んでOB総会の話しに移った・・・
参加者が少ないのはどうしたことか?
参加者を増やすためのアイデアは出されたものの、「東京」近辺在住者の声には実行が伴わないきらいがある。
討議する会合に参加することが難しい・・・。
京阪神在住者の方々の尽力・努力をお願いするしかありません。
思うに、総会を唯一のOB会全体のイベントとしないで、山岳会運営委員会といった幹部役員による決定機関を設け、そこで討議・決定し会を運営するような形にし、時に重要事項が発生したら総会を招集し、討議・決定するといったようには出来ないものだろうか。
または、年2回の総会を1回とし、毎年1回は楽しい懇親山行(ハイキングでもいい)を順番に各支部主催で行うというようなことは不可能でしょうか。
一度関東支部が主催して好評だったと記憶しています。
年に一度くらいは、「どこでもいいから山へ行きましょう」。
一服している会員にそんな手助けをしてはどうでしょうか。
先月送付されてきた「2009年度 秋季定例総会 概要」によると、役員・顧問等の方々を除く『OB会員』の出席者は7人で、その内庶務の角谷、会計の岩本両氏を除くと、なんと5人の出席しかいないではありませんか!!
一方、現役学生等の出席が17名・・・。
こんなことへの疑問も話題になりました。
(総会に対する意見のようなものは、支部の総意ではなく個人的なものです)
体調不良で半分居眠りをしていた山火君や、帰宅に時間を要するメンバーと別れ、支部長と百田君を囲んでの2次会が八重洲口へと移され、日付が変わりかけたところでお開きとなった。
奈良県支部に限らず、関東支部も中間層との結び付きを諮らねば老齢者の集まりとなってしまう。
しかし、奈良県支部は葛城山へ登っているので、支部の活動として敬服です。

卒業時に在校生からいただいたペナント
1962年卒 S.IMANARI
いつものように、案内の作成・送付や場所などすべての手配は伊東支部長によります。
5月26日(水)、場所は「がんこ 銀座1丁目店」 18時より。
平日の6時開始となると、どれだけの参加があるだろうか?
伊東支部長からの案内状には、加藤勇二、今成征三、宮本光将、山火桂一、東口重信、宮川清彦、山本弘志、細谷寿夫、前泉康一、堺 正幹、広瀬雅彦、(岩本憲彦)、中山和俊、西村邦彦、川治 陽、真鍋光之、美馬英昭、川治和香、吉田陽一、西口正治、百田孝史の21人に送られている。
銀座通りで宮川君と出会い、一緒に店の部屋へ案内されると、既に伊東支部長、加藤勇二さん、山火君、東口君がいて、その後は勤め帰りの秋山監督、中山君と前泉君が顔を見せ、最後に研修中の主賓百田君が駆け込んできて何度目かのカンパイ。

左側 奥より 加藤 伊東支部長 百田 今成 前泉 右側 中山 秋山 東口 山火 宮川
いつもであれば下村先輩と河野の君の姿があるのだが、残念ながらお二人とも昨年故人となってしまわれた。
遅れて到着した会員が座る度にカンパイして話しが弾んできたところで、百田君へ先輩たちが自己紹介することになった。
各人が語る中で、山岳部時代の逸話が飛び出す度にそこに話題が移り会話が広がり、なかなか自己紹介のリレーのバトンタッチが進まない。
それぞれが持っている経験話しが新鮮で、こうした話しを集めたら「山岳会の裏話・生きたDACの歩み」として、「記録」などより読まれるな、と盛り上がったりして話題が尽きない。

宮川先輩と笑顔で話す百田君
山火・東口・今成は同世代で友人関係にあるのため、昔話のネタが次々と飛び出し、話題を左右に振ったりして・・・。

東口町会議員と秋山監督
秋山監督は、現役とのトレーニングでケガをし入院したりしたという、無理せず気をつけて欲しい。
古稀であるはずの東口君は、昨年長野県御田代町議会議員に最年長で初当選して、多忙なのか久しぶりの参加だったが、宮川君とも何度も一緒に山を歩いているので、ここでも話題が途切れることはない。
前泉君とは一回りくらいの違いがあり、宮川君とは山岳部では入れ替わりだったらしい。
会話がより進むには学生時代などの結び付きがあることが望ましい。
それが会合が成功する大きな要素だと思う。
話題が飛んでOB総会の話しに移った・・・
参加者が少ないのはどうしたことか?
参加者を増やすためのアイデアは出されたものの、「東京」近辺在住者の声には実行が伴わないきらいがある。
討議する会合に参加することが難しい・・・。
京阪神在住者の方々の尽力・努力をお願いするしかありません。
思うに、総会を唯一のOB会全体のイベントとしないで、山岳会運営委員会といった幹部役員による決定機関を設け、そこで討議・決定し会を運営するような形にし、時に重要事項が発生したら総会を招集し、討議・決定するといったようには出来ないものだろうか。
または、年2回の総会を1回とし、毎年1回は楽しい懇親山行(ハイキングでもいい)を順番に各支部主催で行うというようなことは不可能でしょうか。
一度関東支部が主催して好評だったと記憶しています。
年に一度くらいは、「どこでもいいから山へ行きましょう」。
一服している会員にそんな手助けをしてはどうでしょうか。
先月送付されてきた「2009年度 秋季定例総会 概要」によると、役員・顧問等の方々を除く『OB会員』の出席者は7人で、その内庶務の角谷、会計の岩本両氏を除くと、なんと5人の出席しかいないではありませんか!!
一方、現役学生等の出席が17名・・・。
こんなことへの疑問も話題になりました。
(総会に対する意見のようなものは、支部の総意ではなく個人的なものです)
体調不良で半分居眠りをしていた山火君や、帰宅に時間を要するメンバーと別れ、支部長と百田君を囲んでの2次会が八重洲口へと移され、日付が変わりかけたところでお開きとなった。
奈良県支部に限らず、関東支部も中間層との結び付きを諮らねば老齢者の集まりとなってしまう。
しかし、奈良県支部は葛城山へ登っているので、支部の活動として敬服です。

卒業時に在校生からいただいたペナント
1962年卒 S.IMANARI