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慧海の歩いた道を辿る ④

標高3,700mの貧しい村、サンダから西に向かうキャルンパ・コーラ沿いの道は、急峻な尾根の肩を巻くように付けられています。
8月20日、村を出てすぐ南に、障壁のように連なるサンダチェ・ヒマールから北に向かって流れ出るドゥンドク・コーラに出くわします。この沢はキャルンパ・コーラのゴルジュに滝となって落ち込んでいます。
先行したキッチン・ポーターたちが対岸で何かわめいています。
雨上がりの細い崖道を進むと、ドゥンドク・コーラを渡った先の崖道が崩壊していました。キッチン・ポーターたちは崩れた崖を伝い、なんとか渡ったようですが、荷物を付けたロバは渡れそうにありません。
シェルパ・馬方・ロバ方・隊員総出で道作りが始まりました。
ジュクジュクの砂と石交じりの崖は崩壊が続いており、作っても作っても上から崩れ落ちてきます。
村に戻りツルハシを借りに行くもの、石垣を組んで道路の基礎作りをするもの、滑り落ちる岩を落とし切るもの、回り道を探すもの、それぞれが沢を渡るために必死の工作です。
頭上から滑り落ちる数トンもあろうかいう岩が、いつまでたってもズルズルと動いて止まらないのが問題です。
我々が苦労して道作りをしていると、やがて対岸からヤクを連れた一団がやって来ました。
工事中の崖を、ヤクは追われながらこちらに渡って来ました。崖崩れの続いている斜面を平気で渡って来るのです。
このヤクの一団が通ったお蔭で、なんとなく道が出来てしまい、ようやく対岸に渡ることができました。

巻き道をさらに西に進んでジャルチェ・コーラを渡ると、直径50センチはあろうかという杜松(ネズ)の大木が生えた急坂に出ます。
よくもこんなところに・・・と思う尾根に突然緑の大木が出てくるのです。岩と草と崖しかなかった道に、木が出てくるのでほっとします。

この地域の3,800mから4,500mにかけた斜面には、杜松の木が育つようです。キャルンパ・コーラの対岸にはゴの村も見えます。夏の間のみ住む村だということです。
このあたりから道は次第にキャルンパ・コーラの沢筋に近付いて下りていきます。昼食を取り吊り橋を北(左岸)に渡りますが、、渡ったところから崖の急登が始まります。荷物を持ったロバでは登ることができないので、荷を解きシェルパやキッチン・ポーターがピストンで崖の上まで運びます。

上空はガスがかかっており、視界が利きません。見えるのは雲の間の崖から落ちている滝があちこちに見えるだけです。
四方を崖に囲まれている感じで不安になります。
ガスの中をさらに登り僅かな台地にたどり着きます。焚き火の跡もあります。
休憩かと思いきや、サーダーのアンタレが今日はここまでだといいます。杜松の生えた4,200mほどの支尾根上が今日のテント場です。
河口慧海は、この日渡ったキャルンパ・コーラの橋を北(左岸)に渡らずに西に進み、ヒドゥン・バレーとベラル・コーラの合流点まで進み、そこから北西にベラル・コーラを遡上しトルポへの入口であるトゥジェ・ラ(ターシン・ラ)にたどり着きます。
キャルンパ・コーラに架かる橋の辺りから数キロ上流までの、杜松と草地の混ざった比較的平坦な牧草地をターシータンと呼んでおり、チベット旅行記にも「栄光渓」と表現されています。
私は帰りに慧海が遡上したルートを下りましたが、現在では道が崩壊しており言語に絶するほど危険な道となっています。
この道のことは再度述べます。
                                   和田 豊司


☆☆ 阪神支部便り ☆☆

新年おめでとうございます。
阪神支部は平成12年(2000年)5月に発足して5年が経過しました。
この間、阪神地区在住のOBが交流を重ね、年と共に親睦・交流の輪が順調に拡充定着の状況にあることは、誠に喜ばしく同慶の至りです。
定着した年間行事・山行は
例年1月に新年会を兼ねて、年間スケジュール策定会が福島の故余部先輩宅を一日開放いただき、恒例の年頭行事としてスタートします。
2月はわが支部で一番重要視している冬の雪山山行が、比良山系を舞台に実行されます。
しかし、比良ケーブルが平成16年をもって閉鎖されてしまったので、今年の計画が心配されます。

(2004年2月のこの山行の参加者は、植西・小川・寺倉夫妻・水落・下村・高橋・吉田・大沢・木村・大塩・尾﨑)
4月、春の山行は六甲山系を中心に、温泉入浴を組み込んで行われます。

(2002年5月の山行には15名の参加がありました。参加者は岩田・小川・寺倉夫妻・水落・弓庭・大塩夫妻・森本・高橋・高家族)
6月の夏山は、奈良支部の森本君(1975年卒)が計画責任者となって、大峰山系を中心に世界文化遺産に登録された吉野熊野十津川郷で、年間で最も参加者に人気のある一泊山行となります。
8月は年央の会員懇親の場として、尼崎ホテル・アルカイックの最上階を貸し切って、夜景を楽しみながらのカラオケ、ビール・パーティーが開催されます。
10月には、京都北山山行が木村君(1974年卒)の設営で計画され、岩田大先輩の山小屋を利用しての一泊山行が、日帰りハイキング組と合流しての山歩きとなります。
12月は忘年会を兼ねて、一年間の反省会が開催されます。
以上が、この5年間に定着した阪神支部の行事・行動の概略です。
近年、年間の参加者が延べ120人を越える盛況となっています。
参加会員の特徴は、全員が歳をとっても山が好きであること、現役時代の山行を回顧して利害損得を度外視して懐旧談にふけり、酒を酌み交わしながらの毎回の歓談が最大の楽しみとなり、お互い健康を喜び合うことでしょうか。
また、会員は個性豊かで元気です。
従って、自己主張の極めて強い集合体で、ひとのいうことは一切聞かない傾向があり、激論に口角泡を飛ばすこと毎回です。
しかし、次の機会には何事もなかったかの如く集まって、ワイワイやるといった阪神支部の『風土』といったものが出来上がってきたように思います。
現在、支部会員の気がかりは、70年の歴史と伝統のあるわが山岳会が、京都本部のご努力にもかかわらず、現役部員の増員が軌道に乗らないことです。
時代の風潮とはいえ、現役部員による山行の火が消されることのないよう、OBとして何が出来るかを考え行動しなければならないと思います。
関東・東海・奈良・九州の各支部は、順調に運営が活発に行われている由、共に現役山岳部の活性化に力を注ぎましょう。
私も支部長在任5年を経過し、来年は70歳のグランド・シニアを迎えるのを機に、支部の若返りを期待して、後任に託したいと考えています。
                         阪神支部長  尾﨑 一郎
  (まだまだ山岳会と支部の活性化のためにご尽力いただかなければなりません。《HP担当者》)

慧海の歩いた道を辿る ③

慧海はムスタンのツァーラン村で修行を重ねチベットへ発ちました。
我々(清水正弘君 82年卒 と和田)は8月18日、カリガンダキを遡上してダンガルゾンの対岸パレック村へ到着しました。
そこで、チベット犬が狼を追いまわすという珍しい光景に出くわしました。3000m程度のこの辺には樹林が残っており、狼の隠れ家となって生息しているようです。
ダンガルゾンからは急峻な山間の斜面を這うように巻きながら、尾根を三つほど越えるとサンダという村に着きます。この村はチャルンパコーラという渓流がカリガンダキに注ぎ込んでいますが、その渓流の断崖絶壁の上にあります。


村の囲いの北側は500mほど切れ込んだ谷になっており、下の流れは見えません。
この村から東に向かってカリガンダキまでゴルジュが続き、川沿いには道がなく冬の間は交通が途絶えます。
従って、人が亡くなっても崖から落とす「水葬」となるそうです。
慧海が通った時には、ターウというダッタン蕎麦しかとれませんでしたが、今では小麦や普通の蕎麦が収穫できます。
対岸には水が出なくなったため、放置された廃村がわびしく崖に張り付いていました。
                                  和田 豊司

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Author:dacob
同志社大学山岳会は同志社大学体育会山岳部のOB会です。

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