同志社大学校友会 大懇親会に参加して

平成26年2月15日、「京都国際会館」に於いて、「スポーツユニオン」「校友会 全国支部会員」等の団体で、千人以上が集まった盛大な大懇親会でした(当山岳会からは、大日会長をはじめ、副会長、各支部長、現役、スポーツユニオン役員ほかが十数名が参加)。
学生によるフラダンスチームの演舞もありました。その時の彼女たちとの写真を小田垣阪神支部長が撮ってくれました。

記 / 乾

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(後列左より、乾、北村、稲田、浜)

◆関連リンクとポスター
http://www.doshisha-alumni.gr.jp/information/news.html#/detail/804960425071173728
http://doshisha-alumni.org/
img055.jpg

末森兄『ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》』入賞

末森兄は現在、英国ロンドンでフリージャーナリストとして活動しています。

http://www.akirasuemori.com/

時折、朝日新聞などの日本のメディアでも撮影した写真などが掲載されています。

このほど、彼が制作したミニドキュメンタリーが今月末から大阪で開催される、「ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》」で評価(入賞)され、一般上映されることになりました。

※内容は20分ほどで、ある英国人女性の物語です。
彼女は第二次大戦前、日本人の父と英国人の母との間に生まれ、そして11歳の誕生日の直後、父が英国政府から日本のスパイと誤認されてその後生き別れとなってしまった。そして彼女は父の足跡を追うといったものです。


上映は8月31日金曜の18時30分からで、
会場は阿倍野区民センター(大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋4丁目19-118)です。

http://hdff.jp/scedule/


さらに9月1日日曜の18時30分からは入賞作品の中から最優秀賞が発表されますので
ひょっとすると、更に高い評価が得られるかもしれません。
ぜひ足をお運びください。

OB会メーリングリスト

同志社大学山岳会のメーリングリストを立ち上げました。
まだ参加されていない会員の方は画面右側の「メールフォーム」などでご連絡ください。

ブログ移行中です

ただいまブログ移行中です。

こちら↓をご覧ください。
http://www.dac-ob.com/

東日本大震災に関連して

当会会員の坂下心一氏(昭和36年卒、仙台市若林区荒井)が被災され、一時消息不明の状態にありましたが、当ホームページに坂下氏のお嬢さんの友人である瀬川さんからコメントが寄せられ、無事であることがわかりました。

秋田市在住のお嬢さんが仙台に駆けつけ、避難所にいた坂下氏を見つけたということでした。

それを聞き、同期を中心にして坂下氏を知る会員に呼びかけ、見舞金を募ったところ21名の会員から暖かい支援をいただき、お嬢さんを通じて届けていただきました。

先日、電話が通じて坂下氏より感謝の声を聞くことが出来ました。

会員の皆様には、広くご連絡出来ず不本意ではありますがご報告いたします。

             昭和36年卒  上田 彰二

東北関東大震災による災害のお見舞い

今回の地震(東北地方太平洋沖地震、長野県北部を震源とする地震)により被害を受けられた皆さまに、謹んでお見舞い申し上げます。
皆さまのご無事と地震の沈静化、並びに一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。

節電にご協力を
節電ポスター
他の節電ポスター

一人一人の元気に 日本の未来がかかってる
復興支援ポスター


6/4 故 佐野崇さんのお墓参り

1998年3月に、鹿島槍ヶ岳での事故で亡くなられた佐野先輩のお墓参りで、久々に近い年代が集まりました。

(佐野さんのお母様・元部員の長野くん・田辺・西田・吉田・西口・植田・千田・三浦)
F1010053-min

それぞれお供えを持参しましたが、その中には、ホットケーキミックス等の少し風変わりなものも・・・・? 佐野さんが山へ行くために、山岳部ボックスに残っていたホットケーキミックスを毎日焼いてお金を貯めていたエピソードなど、昔話に花が咲きました。

(記/千田)

故岩間清平君の墓参と偲ぶ会

昨年12月18日、62年卒・岩間清平君が逝去されました。
その墓参と偲ぶ会の報告です。
近年、音信が途絶えていたため、角谷君より知らされて突然のことに驚きご遺族に問い合わせし、悲しみに沈んでしまいました。
享年69歳でした。
まず、連絡のとれる同期の宮本・里藤君と山岳部同期の川合・塩見さんにお知らせし、故人と岩倉時代から親交のあった1年先輩の松村さんにお伝えし相談したところ、同期の方々に連絡して合同で墓参と偲ぶ会をしようということに運んでいただきました。
千葉県に住む私には京都での会合の調整は出来ないので、いつもながら一切を松村さんにお願いしてしまいました。
3月11日(木)、烏丸今出川にある喫茶「わびすけ」に2時集合ということになりました。
残念なことに塩見さんは前々日になり、参加出来なくなった旨の連絡を受けました。
集合までに時間があったので、出町柳から同志社の校内を歩いて「わびすけ」に向う途中で、先輩の小野さんとパッタリお会いして、「早いけど行きますか」ということになり「わびすけ」へ。
「わびすけ」は、50年以上前の学生のころからあった喫茶店で、当時は一階のガラス窓の内側に生け花が置かれていて、ハイクラスの感じで腹ペコの下宿学生は入ることはありませんでしたが・・・。
入ると「オオゥッ!」といった感じで、川合さんと宮本の姿を店の奥にとらえました。
そして里藤、松村さん、植西さんが来られ、予定では九州の大宰府から上田さんが来られるとのことでしたが、空便のトラブルで予定より30分くらい遅れるとの連絡が松村さんに入り、それまでの間、久しぶりの再会で近況報告などに花が咲き、セーブしながらも大声になり、隣席の客がたじろぐような会合となりました。
まず出た話題は体調&病気や薬のこと・・・。
「この話題はしゃぁないな」ということで話しが尽きたころ、いいタイミングで上田さんが駆けつけて来られたので墓参へと立ち上がりました。
岩間家の墓は同志社から近い「無学寺」にあるので徒歩で向かいました。

花を供え、それぞれが墓前で手を合わせ、冥福を祈りました。
締めくくりに墓石に日本酒をたっぷりとかけ、「また来るぞ」と明るく別れを告げました。

体調が悪いという小野さんとはここでお別れすることになりました。
4時からの偲ぶ会には若干時間があったので、新町の山岳部の部室に寄ってみると、クライミングボードに取り組んでいる約1名の山岳部員君らしき姿があり、その彼が松村さんには挨拶したので部室に案内してもらいました。

私自身は3年ほど前に行ったことがありますが、かつて新町のプール横にあった部室や(旧)新町校舎そばにあった部室とは明るさや清潔さに雲泥の差があります。
かたわらのダンボール箱には無造作にアイゼンがいくつも入れられていました、共同装備なのだろうか?
かつての部室には付きものだった遭難者の遺影がないのがいい、これも時代だ。
偲ぶ会は錦通西洞院の「井傳」
岩間君の冥福を祈りつつ、何十年ぶりかの再会に導いてくれたことに感謝して献杯。
私たちの学年は20人以上が夏山合宿に参加しましたが、川合さんと塩見さん(2年から入部)を含めて
翌年まで残ったのは消息不明の村上と故人となった岩間に今回参加の宮本・里藤・今成の7人でした。
運悪く、初めて実施された愛宕山でのボッカ・トレの話し、夏山縦走の話し、金比羅ロック・トレの話し、新人歓迎コンパでの悲惨だった酒の話、冬山の初日に○○さんがルートを間違えた話し・・・「あの時アレはなんだったのですか」といった質問などが飛び出したりして、岩間君の逸話などを中心に、半世紀も前の話題に花が咲き尽きることがありません。

何時間が経過したのでしょうか、美味しい料理も尽き後ろ髪を引かれる思いで「岩間君を偲ぶ会」を締めることとなりました。

   前列左より 川合 松村 上田 植西  後列 里藤 今成 宮本
こうした会合は各期で実施されているのではないかと思いますが、学年を超えての会合がこんなに話しが弾むとは思いませんでした。
これは一重に61年卒の先輩の方々(今回はご都合により参加いただけなかった諸兄や故人となられた長谷川さん)の人徳あるいは力によるものではないかというのが、62年卒同期が受けた感想です。
「岩間君ありがとう」、君がいなのが残念だったけど、君のお蔭でこうした交流が持てて、重ねて感謝します。
岩間へ、九州から駆けつけて来てくれたあの時2年生の上田さん・・・新人合宿の劒沢から→白馬→笠の大縦走のトップだった。
私はバテバテだったけど、おまえは強かったなあ・・・。
パンを拾って食べたり・・・、あれから50年近くが過ぎたんや
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         宮本  今成  岩間  里藤 (1961.3 利尻岳登頂を終えて帰路の船上で)
                             62年卒  今成 征三 記

9月4日 朝刊を読んでいて「驚いた!」


       
当山岳会会員で毎日新聞社(東京)編集局 社会部記者 真鍋 光之君('87年卒)の活躍ぶりを関東支部より報告します。
9月4日(金)の毎日新聞朝刊9面(オピニオン)に、宮内庁担当の真鍋君が書かれた記事?が掲載されています。
   
[記者の目]は、当日の出来事を伝える形式のものではなく、一つの出来事を担当部門の記者が掘り下げて紹介するものです。
真鍋君とは5月に行われた関東支部の会合で、初めて顔を合わせて名刺をもらい、「宮内庁を担当してるんだ、結構地味だね」などと厚かましい会話を交わしたお蔭で、今朝、「真鍋」という名前に目が行き、皇太子の写真を見て→宮内庁→あの「真鍋君だ!」と気付きました。
関東支部会での交流がなければ、読み飛ばしていたかもしれません、DACの絆を感じた朝でした。
なお、http://mainichi.jp/select/opinion/eye/  か「毎日新聞、記者の目」で検索していただくと記事の全文をご覧いただけます。
真鍋君の力強いオピニオンに目を通していただき、今後も注目していきましょう。
                          関東支部  今成 征三('62年卒)

故山下輝彦君の五十回忌墓参追悼供養

     
昭和33年9月25日 前穂高岳北尾根第四峰奥又白側正面壁において遭難死した山下輝彦君(当時3回生、サブリーダー)の五十回忌を迎え、当時の山仲間が去る9月26日、奈良県高市郡高取町市尾(いちお)の山下家の菩提寺である念佛寺に集まった。
佛姓(ぶっしょう)副住職の読経のもと、輝彦君(曻雲院光誉輝彦居士、行年21歳)の墓前に参り追悼供養を行った。
なお、ご遺族の山下家からは、ご両親がご高齢のため、輝彦君の妹(深尾郁子)さんが出席された。
        
昭和33年7月 劒岳八ツ峰六峰Cフェースの登攀を終えて、六峰の頭で寛ぐ山下君


前列左から 佛姓副住職、福田勝一(S35)、岸下勝亮(S34)、鈴木康司(S36)
後列左から 佛姓住職のご母堂、上田彰二(S36)、深尾郁子、前原勉(S35)、
小野徳太郎(S36)、中西隆一(S35)
しばしの歓談後、席を京都祇園の料理旅館「白梅」に移し会食を行った。
会食には市尾まで行けなかった前芝茂人(S35)も出席した。

左から 小野、前芝、前原、鈴木、上田、岸下、福田
各氏の敬称省略 ( )内は卒業年度 S=昭和
      『山の友穂高に逝きて五十年
              我も仲間も古稀を過ぎたり』
                               
                                 合 掌
        
                昭和35年 経済学部卒  福田 勝一
     

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Author:dacob
同志社大学山岳会は同志社大学体育会山岳部のOB会です。

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