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Archive | 河口慧海

慧海の歩いた道を辿る ④

慧海の歩いた道を辿る ④

Posted on 11 1月 2005 by dacob

標高3,700mの貧しい村、サンダから西に向かうキャルンパ・コーラ沿いの道は、急峻な尾根の肩を巻くように付けられています。
8月20日、村を出てすぐ南に、障壁のように連なるサンダチェ・ヒマールから北に向かって流れ出るドゥンドク・コーラに出くわします。この沢はキャルンパ・コーラのゴルジュに滝となって落ち込んでいます。
先行したキッチン・ポーターたちが対岸で何かわめいています。
雨上がりの細い崖道を進むと、ドゥンドク・コーラを渡った先の崖道が崩壊していました。キッチン・ポーターたちは崩れた崖を伝い、なんとか渡ったようですが、荷物を付けたロバは渡れそうにありません。
シェルパ・馬方・ロバ方・隊員総出で道作りが始まりました。
ジュクジュクの砂と石交じりの崖は崩壊が続いており、作っても作っても上から崩れ落ちてきます。
村に戻りツルハシを借りに行くもの、石垣を組んで道路の基礎作りをするもの、滑り落ちる岩を落とし切るもの、回り道を探すもの、それぞれが沢を渡るために必死の工作です。
頭上から滑り落ちる数トンもあろうかいう岩が、いつまでたってもズルズルと動いて止まらないのが問題です。
我々が苦労して道作りをしていると、やがて対岸からヤクを連れた一団がやって来ました。
工事中の崖を、ヤクは追われながらこちらに渡って来ました。崖崩れの続いている斜面を平気で渡って来るのです。
このヤクの一団が通ったお蔭で、なんとなく道が出来てしまい、ようやく対岸に渡ることができました。

巻き道をさらに西に進んでジャルチェ・コーラを渡ると、直径50センチはあろうかという杜松(ネズ)の大木が生えた急坂に出ます。
よくもこんなところに・・・と思う尾根に突然緑の大木が出てくるのです。岩と草と崖しかなかった道に、木が出てくるのでほっとします。

この地域の3,800mから4,500mにかけた斜面には、杜松の木が育つようです。キャルンパ・コーラの対岸にはゴの村も見えます。夏の間のみ住む村だということです。
このあたりから道は次第にキャルンパ・コーラの沢筋に近付いて下りていきます。昼食を取り吊り橋を北(左岸)に渡りますが、、渡ったところから崖の急登が始まります。荷物を持ったロバでは登ることができないので、荷を解きシェルパやキッチン・ポーターがピストンで崖の上まで運びます。

上空はガスがかかっており、視界が利きません。見えるのは雲の間の崖から落ちている滝があちこちに見えるだけです。
四方を崖に囲まれている感じで不安になります。
ガスの中をさらに登り僅かな台地にたどり着きます。焚き火の跡もあります。
休憩かと思いきや、サーダーのアンタレが今日はここまでだといいます。杜松の生えた4,200mほどの支尾根上が今日のテント場です。
河口慧海は、この日渡ったキャルンパ・コーラの橋を北(左岸)に渡らずに西に進み、ヒドゥン・バレーとベラル・コーラの合流点まで進み、そこから北西にベラル・コーラを遡上しトルポへの入口であるトゥジェ・ラ(ターシン・ラ)にたどり着きます。
キャルンパ・コーラに架かる橋の辺りから数キロ上流までの、杜松と草地の混ざった比較的平坦な牧草地をターシータンと呼んでおり、チベット旅行記にも「栄光渓」と表現されています。
私は帰りに慧海が遡上したルートを下りましたが、現在では道が崩壊しており言語に絶するほど危険な道となっています。
この道のことは再度述べます。
                                   和田 豊司

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慧海の歩いた道を辿る ③

慧海の歩いた道を辿る ③

Posted on 07 1月 2005 by dacob

慧海はムスタンのツァーラン村で修行を重ねチベットへ発ちました。
我々(清水正弘君 82年卒 と和田)は8月18日、カリガンダキを遡上してダンガルゾンの対岸パレック村へ到着しました。
そこで、チベット犬が狼を追いまわすという珍しい光景に出くわしました。3000m程度のこの辺には樹林が残っており、狼の隠れ家となって生息しているようです。
ダンガルゾンからは急峻な山間の斜面を這うように巻きながら、尾根を三つほど越えるとサンダという村に着きます。この村はチャルンパコーラという渓流がカリガンダキに注ぎ込んでいますが、その渓流の断崖絶壁の上にあります。


村の囲いの北側は500mほど切れ込んだ谷になっており、下の流れは見えません。
この村から東に向かってカリガンダキまでゴルジュが続き、川沿いには道がなく冬の間は交通が途絶えます。
従って、人が亡くなっても崖から落とす「水葬」となるそうです。
慧海が通った時には、ターウというダッタン蕎麦しかとれませんでしたが、今では小麦や普通の蕎麦が収穫できます。
対岸には水が出なくなったため、放置された廃村がわびしく崖に張り付いていました。
                                  和田 豊司

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慧海の歩いた道を辿る ②

慧海の歩いた道を辿る ②

Posted on 27 12月 2004 by dacob

河口慧海は仏陀の真の教えを極めるべく、サンスクリット語(仏教の教えを記す古代インドの文章語)の原典を求め、チベット入国の準備として、1897年からインドのダージリンでチベット語の習得と仏教徒としての修行を3年間行っています。
当時、ダージリンから直接北に抜ければ、すぐにチベットに入国出来ました。しかし、鎖国中のチベットは厳重に国境を封鎖しており、密入国やそれを支援した人は皆死刑に処せられていました。
慧海はチベットへ抜ける間道を調べ、ダージリンから入国することをあきらめ、ネパールから密入国することにしたのです。
カトマンズからポカラへ出て、カリガンダキを遡り、ツァーラン村でさらに修行をしながら間道を探ります。
ムスタンを北に抜けチベットへ入ろうとしましたが、ここもチベット軍の警備が厳しく、密入国は不可能と判断しました。
慧海はこの時点で、さらに西にあるトルポ(ドルポ)からヒマラヤ越えを決行することを決断したのです。
「チベット旅行記」に掲載された地図を示します。

                                      和田 豊司 記

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慧海の歩いた道を辿る ①

慧海の歩いた道を辿る ①

Posted on 22 12月 2004 by dacob

河口慧海は1900年(明治33年)6月12日、当時厳しい鎖国下にあったチベットの聖都ラサへ向けて、ネパールヒマラヤ・ダウラギリ峰の東を流れるカリガンダキ(河)のほとりにあるマルファ村を出発しています。
当時宿泊したアダム・ナリン氏の家が《河口慧海記念館》として保存されています。

この村へは、1970年秋のDACダウラギリ登山隊に参加し、登頂に成功した折の帰途、訪れたことがあります。
立ち寄った小学校に、日本の児童から送られた絵が貼ってあり、当時、「こんな奥地まで」と思ったものでしたが、現在は日本のNGOによるリンゴ園があって、たわわに実をつけていました。
村の商店では、アップル・パイやリンゴ・ブランデーも売られています。
私たちはジョムソンを経て、蕎麦の花が真っ盛りのダンガルゾンという村に泊まりました。

ダンガルゾンからは、慧海がムカラ坂と呼んだ崖道や「高雪峰が剣を並べた如く」と表現した急峻な峰の斜面を縫うように上がっていきます。
                           1970年 大院工 卒   和田 豊司
                            e-meil : toyoji@kit.hi-ho.ne.jp
(「活動してます」との折り合いがつかず、この欄に寄稿させていただきました。JAC関西支部・西チベット学術登山隊に参加しての記録です。何回続くか未定ですが、頑張ってみます。)

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