Posted on 27 6月 2010 by ob
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同志社大学山岳部史上、最大の遭難事故といわれる昭和25年12月末の鹿島槍ヶ岳大冷沢の大雪崩のため、テント埋没により4名死亡につき、その発掘遺体処理後、現地荼毘を行った当時の現役部員中、死亡、または連絡先不明等で現在5名となりました。
数年前、その50回忌を現地で行った我々は、70歳代後半80歳に到る人生最後の年齢になり、毎年1回、新制大学発足当時の懐かしい「想い出」を語り合.い、親睦を深めるため、もう年齢的にも登山は無理ということで、「文明の力」を借りて軽登山を行うことになりました。
昨年はケーブルにより「六甲山」へ登り、今年は乗用車により「奈良若草山」登山ということになった次第です。
丁度、今年は「平城遷都1300年祭」が行われており、その見学と相成り、古都「奈良」を堪能し、昔話に花が咲き、楽しい一日でした。
Posted on 27 5月 2010 by dacob
Posted on 21 5月 2009 by dacob

昨年3月に実施した同期・松村君の慰労会から早や1年が過ぎ、今年の山釣会は5月16日(土)、祇園の料理旅館白梅に集合し、互いの健康を祝して乾杯!奥様方を交えて楽しい会話に花を咲かせました。
メンバーでは残念ながら、鈴木・坂下・山本・塩見の諸兄が欠席でした。
会食後は円山公園で、迎賓館としても有名なルネサンス様式の洋館・長楽園で談笑の後、次回は九州でと決めてお開きとしました。
我々[昭和36年(1961年)卒]は、機会を作っては旧交を温めております。
これからもこうした会を開催した時には、簡単ながら報告したいと思っています。
DAC-OBの皆さん、同期の集まりなどをされた際には、このページに投稿していただきければと願っております。
[写真」
前列左から 植西夫人、小野夫人、上田、佐藤、舟戸
後列 松村夫人、長谷川夫人、松村、小野、植西、川合
上田 彰二 記
Posted on 12 3月 2008 by dacob

3月9日(日)
前回の「山釣会(昭和36年卒の親睦会)」は、80周年記念式の際に京都で開催しました。
2年ごとに集まっていて、メンバーは全員で11名ですが、今回は坂下心一君、塩見克君、
山本慎一郎、佐藤和男君が欠席でした。
都合による不参加で、皆さんお元気です。
今回は、京都・祇園の料理旅館「白梅」にて、当山岳会の運営、同志社大学山岳部の維持・
育成等に計り知れない貢献を果たしてくれた、同期の松村多四郎君が3月で監督を引退する
ことになったため、永年のご労苦に感謝と慰労を兼ねての集いでありました。
新たに参加した舟戸武史君(当時の同志社スポーツ編集長)も加わり、賑やかに旧交を温
めました。
次回は九州で開催の予定です。
(お願い:私たちのように同期の会合などを持たれている卒年のグループがあるのではない
かと思います。
この欄を使って消息などをお聞かせいただきたいと思います。)
昭和36年卒 上田 彰二
photo 左から
上田 川合 鈴木夫人 鈴木 小野 松村 植西
小野夫人 長谷川夫人 松村夫人 植西夫人 上田夫人 舟戸
Posted on 22 4月 2007 by dacob
Posted on 18 5月 2006 by dacob
80周年記念式が開催された5月14日の昼、同期10人の内7人が京都に参集しました。
これが初めての会合ではなく、卒業後もちょくちょく何人かで集まっていましたが、70周年の時にほとんどが顔を出したのを機会に、より親密になってきました。
仙台に住む坂下君の参加はなかなか望めませんが、3年前に静岡の鈴木貴統君の屋敷「釣耕苑」へ行ったのを機会に、同期会の名称を「山釣会」と松村君が命名しました。
「一緒に山歩きをしよう」、といったことは残念ながら話題にのぼりませんでしたが、個々に山を続けているようです。

前より 松村 植西 佐藤 前より 上田 小野 川合 塩見
会合には5人の奥様方も参加され、今回も出席された故長谷川喨一君の奥様は、故人の所属した山岳会の雰囲気を味わいたいと希望され、記念の会にも参加し感動の面持ちでした。

植西・上田夫人 長谷川・松村・小野夫人
記念式は盛大でしたが、会員の参加が少なかったのが気になりました。
会員の皆さん!
同期との山歩きや飲み会の様子などを、この欄に送って健在ぶりをご報告していただけませんか、懐かしいお顔を拝見したいものです。
’61年卒 上田 彰二
Posted on 02 3月 2006 by dacob
「土佐ノ海関」入門の平成6年より、大阪3月場所には同志社スポーツユニオンの役員方のお世話により、今年は13回目となり、平成18年2月24日大阪リーガロイヤルホテルで行われました。
毎年、山岳会から吉村前会長、松村副会長と私(乾)が出席させていただき、いつものように北村光雄名誉会長の主導のもとに進められ、同志社出身の力士「土佐ノ海関」の、再度、幕内上位復帰を期待したものです。
〔北村光雄名誉会長の想い出 -山岳部の歴史として-〕
現、北村光雄同志社スポーツユニオン名誉会長と山岳部との出会いは、昭和26年にさかのぼる。
当時、山岳部は鹿島槍ヶ岳大冷沢の雪崩による4名行方不明という大アクシデントにより、その捜索のため非常な混乱状態にあった。
その時の体育会長(当時は学生が体育会長に就任することになっており、現在の体育会委員長に相当)が北村光雄氏であった。
捜索本部を体育会本部に置かせていただき、北村会長自ら大冷沢の現場まで同行され、予算その他のことで大変お世話になりました。
また、6月13日の同志社栄光館に於ける追悼会には、同志社大学体育会長として「追悼の辞」を述べていただきました。
時に私(乾)は1年部員として、佐々木マネージャー、その次の加藤マネージャーの補佐(使い走り)として北村会長には大変お世話になりました。
2年部員および3年部員になってからは、正マネージャーとして毎月体育会本部で行われる「マネージャー会議」に出席し、「体育OB連合」(現スポーツユニオン)設立のため、重ねてお世話になった次第です。
学校卒業後、サラリーマンとして就職した会社が、奇しくも同じ町内(大阪市南区竹屋町)〔全くの偶然〕で毎日のように北村氏の営業活動を目の当たりにし、これも何かの縁だったと思います。
その後、山岳会の要請により「同志社スポーツユニオン」に関わらせていただき、役員として「亀岡カントリークラブ」でのゴルフコンペに参加し、特に北村さんと同組でプレーさせてもらった時は、彼の「トバシ屋」には驚かされ、大変良い想い出となりました。

北村ご夫妻と乾 1985.7.7. (北京市内見学にて)
また、「日中友好ナムナニ峰登頂成功祝賀会」には、同志社スポーツユニオン会長として、ご夫婦で中国の北京まで参加していただき、北京市内見学にはご一緒させてもらいました。
その他、想い出は尽きません。
最後に50年前の山岳部代表として、このスペースをお借りして、厚く御礼申し上げます。
元 山岳部マネージャー 乾 好 (奈良県支部長)
Posted on 04 12月 2005 by dacob
50年前に山岳部現役として活躍した我々も今や70歳を越え、当時の部員も数多く死去、あるいは消息不明となりました。
80年誌の編集にあたり、当時の取材も兼ねて旧交を温めるため、50年ぶりに平成16年11月2日、大台ヶ原山頂で紅葉見学会と洒落込んで、第1回目の会合を松月元主将、中田のトッツアン、片岡のオッチャン、乾元マネージャーと4名で行いました。
平成17年11月16日には、第2回目の会合を片岡氏の世話で紅葉を見ながら御在所岳で行い、充分取材することが出来ました。

乾 片岡 中田 松月
来年は鹿島槍大冷沢遭難50年忌にあたり、鹿島槍東尾根や爺ガ岳東尾根の紅葉でも見ながら、「トメ岩」で供養を思っております。
山岳会80年誌編纂委員長 乾 好
Posted on 26 12月 2004 by dacob