1998年3月に、鹿島槍ヶ岳での事故で亡くなられた佐野先輩のお墓参りで、久々に近い年代が集まりました。
(佐野さんのお母様・元部員の長野くん・田辺・西田・吉田・西口・植田・千田・三浦)

それぞれお供えを持参しましたが、その中には、ホットケーキミックス等の少し風変わりなものも・・・・? 佐野さんが山へ行くために、山岳部ボックスに残っていたホットケーキミックスを毎日焼いてお金を貯めていたエピソードなど、昔話に花が咲きました。
(記/千田)
Posted on 11 6月 2010 by club
1998年3月に、鹿島槍ヶ岳での事故で亡くなられた佐野先輩のお墓参りで、久々に近い年代が集まりました。
(佐野さんのお母様・元部員の長野くん・田辺・西田・吉田・西口・植田・千田・三浦)

それぞれお供えを持参しましたが、その中には、ホットケーキミックス等の少し風変わりなものも・・・・? 佐野さんが山へ行くために、山岳部ボックスに残っていたホットケーキミックスを毎日焼いてお金を貯めていたエピソードなど、昔話に花が咲きました。
(記/千田)
Posted on 12 3月 2010 by dacob
昨年12月18日、62年卒・岩間清平君が逝去されました。
その墓参と偲ぶ会の報告です。
近年、音信が途絶えていたため、角谷君より知らされて突然のことに驚きご遺族に問い合わせし、悲しみに沈んでしまいました。
享年69歳でした。
まず、連絡のとれる同期の宮本・里藤君と山岳部同期の川合・塩見さんにお知らせし、故人と岩倉時代から親交のあった1年先輩の松村さんにお伝えし相談したところ、同期の方々に連絡して合同で墓参と偲ぶ会をしようということに運んでいただきました。
千葉県に住む私には京都での会合の調整は出来ないので、いつもながら一切を松村さんにお願いしてしまいました。
3月11日(木)、烏丸今出川にある喫茶「わびすけ」に2時集合ということになりました。
残念なことに塩見さんは前々日になり、参加出来なくなった旨の連絡を受けました。
集合までに時間があったので、出町柳から同志社の校内を歩いて「わびすけ」に向う途中で、先輩の小野さんとパッタリお会いして、「早いけど行きますか」ということになり「わびすけ」へ。
「わびすけ」は、50年以上前の学生のころからあった喫茶店で、当時は一階のガラス窓の内側に生け花が置かれていて、ハイクラスの感じで腹ペコの下宿学生は入ることはありませんでしたが・・・。
入ると「オオゥッ!」といった感じで、川合さんと宮本の姿を店の奥にとらえました。
そして里藤、松村さん、植西さんが来られ、予定では九州の大宰府から上田さんが来られるとのことでしたが、空便のトラブルで予定より30分くらい遅れるとの連絡が松村さんに入り、それまでの間、久しぶりの再会で近況報告などに花が咲き、セーブしながらも大声になり、隣席の客がたじろぐような会合となりました。
まず出た話題は体調&病気や薬のこと・・・。
「この話題はしゃぁないな」ということで話しが尽きたころ、いいタイミングで上田さんが駆けつけて来られたので墓参へと立ち上がりました。
岩間家の墓は同志社から近い「無学寺」にあるので徒歩で向かいました。

花を供え、それぞれが墓前で手を合わせ、冥福を祈りました。
締めくくりに墓石に日本酒をたっぷりとかけ、「また来るぞ」と明るく別れを告げました。

体調が悪いという小野さんとはここでお別れすることになりました。
4時からの偲ぶ会には若干時間があったので、新町の山岳部の部室に寄ってみると、クライミングボードに取り組んでいる約1名の山岳部員君らしき姿があり、その彼が松村さんには挨拶したので部室に案内してもらいました。

私自身は3年ほど前に行ったことがありますが、かつて新町のプール横にあった部室や(旧)新町校舎そばにあった部室とは明るさや清潔さに雲泥の差があります。
かたわらのダンボール箱には無造作にアイゼンがいくつも入れられていました、共同装備なのだろうか?
かつての部室には付きものだった遭難者の遺影がないのがいい、これも時代だ。
偲ぶ会は錦通西洞院の「井傳」
岩間君の冥福を祈りつつ、何十年ぶりかの再会に導いてくれたことに感謝して献杯。
私たちの学年は20人以上が夏山合宿に参加しましたが、川合さんと塩見さん(2年から入部)を含めて
翌年まで残ったのは消息不明の村上と故人となった岩間に今回参加の宮本・里藤・今成の7人でした。
運悪く、初めて実施された愛宕山でのボッカ・トレの話し、夏山縦走の話し、金比羅ロック・トレの話し、新人歓迎コンパでの悲惨だった酒の話、冬山の初日に○○さんがルートを間違えた話し・・・「あの時アレはなんだったのですか」といった質問などが飛び出したりして、岩間君の逸話などを中心に、半世紀も前の話題に花が咲き尽きることがありません。

何時間が経過したのでしょうか、美味しい料理も尽き後ろ髪を引かれる思いで「岩間君を偲ぶ会」を締めることとなりました。

前列左より 川合 松村 上田 植西 後列 里藤 今成 宮本
こうした会合は各期で実施されているのではないかと思いますが、学年を超えての会合がこんなに話しが弾むとは思いませんでした。
これは一重に61年卒の先輩の方々(今回はご都合により参加いただけなかった諸兄や故人となられた長谷川さん)の人徳あるいは力によるものではないかというのが、62年卒同期が受けた感想です。
「岩間君ありがとう」、君がいなのが残念だったけど、君のお蔭でこうした交流が持てて、重ねて感謝します。
岩間へ、九州から駆けつけて来てくれたあの時2年生の上田さん・・・新人合宿の劒沢から→白馬→笠の大縦走のトップだった。
私はバテバテだったけど、おまえは強かったなあ・・・。
パンを拾って食べたり・・・、あれから50年近くが過ぎたんや
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宮本 今成 岩間 里藤 (1961.3 利尻岳登頂を終えて帰路の船上で)
62年卒 今成 征三 記
Posted on 10 11月 2008 by dacob
平成20年9月25日(木)、爽やかな秋の日、奈良県支部のメンバー4名は、昭和30年代に大いに活躍し、同志社の黄金時代の先駆けをなした奈良県内にお墓のある2人の墓参を行った。
一人は昭和33年9月25日に前穂高岳北尾根第4峰奥又側正面壁に挑み、21歳の若さで遭難死した当時山岳部サブリーダーの山下輝彦君。
今年は丁度50周年に当る。(なお、昨年の50回忌には有志でお墓参りを行っている)

在りし日の山下輝彦君
1958年7月、剱岳八ツ峰六峰頭にて
もう一人は昭和38年の西北ネパールヒマラヤ サイパル峰遠征隊(児島勘次隊長)のメンバーに現役部員から選ばれ、当時の若手OBおよび現役部員に大きな影響を与えた岡田啓二郎君。
彼は平成8年10月12日、アメリカ出張中に57歳で急逝、今年は13回忌に当る。

在りし日の岡田啓二郎君
1963年11月、サイパル遠征時、西北ネパール・タルコット村にて
集合場所の橿原神宮駅を岸下氏の高級車で、午後2時に出発。
道々彼岸花の咲く飛鳥路を走り、先ず高市郡高取町市尾(いちお)にある山下家の菩提寺・浄土宗の念佛寺にお参りする。
ご遺族の山下家の方々および佛姓(ぶっしょう)住職のご家族の方々のお出迎えをいただき、輝彦君(曻雲院光誉輝彦居士)の墓前に参った。
佛姓住職の読経に続き焼香、歓談の後、念佛寺を後にする。

山下家の墓前にて
前列左から佛姓住職のご母堂、山下輝彦君のご母堂、佛姓住職、室野、乾
後列左から輝彦君の弟さん、輝彦君の妹さん、岸下、福田
次に岡田啓二郎君(釈啓信)の眠る葛城市霊苑に向う。
広大な霊苑に建つ岡田家の静まり返った墓前に参り、半世紀前の山岳部時代が思い起こされる一時であった。

岡田家の墓前にて
左から室野、乾、岸下、福田
お参りの後は、近鉄百貨店橿原店7階の月日亭で酒肴に舌鼓を打ちながら談論風発、時の過ぎるのも忘れる酒宴となった。
奈良県支部の出席者
乾 好(昭和30年経卒)
室野 進(昭和33年経卒)
岸下 勝亮(昭和34年経卒)
福田 勝一(昭和35年経卒)
合 掌
奈良県支部支部長 室野 進
Posted on 28 10月 2007 by dacob
昭和33年9月25日 前穂高岳北尾根第四峰奥又白側正面壁において遭難死した山下輝彦君(当時3回生、サブリーダー)の五十回忌を迎え、当時の山仲間が去る9月26日、奈良県高市郡高取町市尾(いちお)の山下家の菩提寺である念佛寺に集まった。
佛姓(ぶっしょう)副住職の読経のもと、輝彦君(曻雲院光誉輝彦居士、行年21歳)の墓前に参り追悼供養を行った。
なお、ご遺族の山下家からは、ご両親がご高齢のため、輝彦君の妹(深尾郁子)さんが出席された。
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昭和33年7月 劒岳八ツ峰六峰Cフェースの登攀を終えて、六峰の頭で寛ぐ山下君
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前列左から 佛姓副住職、福田勝一(S35)、岸下勝亮(S34)、鈴木康司(S36)
後列左から 佛姓住職のご母堂、上田彰二(S36)、深尾郁子、前原勉(S35)、
小野徳太郎(S36)、中西隆一(S35)
しばしの歓談後、席を京都祇園の料理旅館「白梅」に移し会食を行った。
会食には市尾まで行けなかった前芝茂人(S35)も出席した。
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左から 小野、前芝、前原、鈴木、上田、岸下、福田
各氏の敬称省略 ( )内は卒業年度 S=昭和
『山の友穂高に逝きて五十年
我も仲間も古稀を過ぎたり』
合 掌
昭和35年 経済学部卒 福田 勝一
Posted on 06 10月 2006 by dacob
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50年忌供養 左より 中田、片岡 (トメ岩にて)
昭和26年6月、大冷沢の「トメ岩」(雪崩は、この岩でトメるという意味)の常識を超えた雪崩の、ものすごい「デブリ」から4名の遺体を掘り出して、そのすぐ側で荼毘を行った当時の現役12名中、死去、連絡不明、体調不良等で、中田順一、片岡於ゃゃ菟莵平、乾好の3名となったが、平成18年9月27日に鹿島部落の狩野さん宅に「80年誌」を携えてお伺いした。
当時、大変お世話に なった「おばばさん」はすでに他界されておりましたが、息子さんの狩野治一さんも5年前に死去され、その奥さんの律子さんは83歳というご高齢にも拘らずお元気でした。
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乾 中田 片岡
狩野律子さん
50年前、松本敏夫さん達が大冷沢へ出発する前日、「いろり」で談笑されておった時のことを覚えておられ、話を伺いました。
狩野宅の裏の爺ヶ岳東尾根の登山口には、日本山岳会の槇有恒氏によって建立された立派な「おばばの碑」が立っていました。
その碑には
母きく能の遺志に依り
山の無事と遭難者の慰
霊をあわせ祈念し、この
碑を建つ、命名して
おばヾの碑 山の思い出は
天地ある限り、いつ迄も
昭和五十二年九月
狩野治一
律子
とありました。
また、昭和の初期より始められている和紙の毛筆による宿泊者の署名書は、大町山岳博物館へ寄贈されたとのことでした。
遭難当時、大変お世話になった「おばばさん」と「治一さん」の仏壇に「80年誌」をお供えして、大冷沢の「トメ岩」の現地へ向かい、持参したお花とお線香を供えて供養を行いました。
翌28日には遠見尾根合宿でお世話になった神城の下川又寛さん宅、また、八方尾根合宿や、当時ガイドとして大冷沢遭難の捜索には大変お世話になった細野の大谷袈裟義(89歳で健在)さんを訪問して「80年誌」を渡しました。
しばらく内容を見ていただき、懐かしい名前を発見され涙ぐんでおられました。
今は2~300人宿泊出来る「ローゼンハイム白馬」ホテルの経営者として、息子さん夫婦と共に現役として活躍されております。
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片岡 乾 大谷袈裟義さん 中田
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中田 乾 片岡
3名でゴンドラの助けを借りて、八方尾根の八方池まで登り、昔3月にアタックした「不帰」を眺め、懐かしく想って帰途につきました。
元、山岳部マネージャー(現 奈良県支部長) 乾 好
Posted on 28 12月 2005 by dacob
12月18日、神奈川県葉山町・神善光寺において行われました。
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会員小方全弘氏(昭和31年文卒)は永年にわたって日本・ブータン友好協会事務局長として活躍され、ブータン王国に居住されていて昨秋日本に帰国し、その後肝臓疾患の治療に専念されておられましたが、本年8月3日に亡くなられたとの知らせを、当会会員の今成君から11月末日に知らせを受けました。
年の瀬の12月ではありますが、奥様のご了解のもと当会各支部長はじめ、会員で生前に親しくされていた方々に故人を偲び、墓前にて追悼の集まりを行う旨ご通知申し上げましたところ、山岳会会員8名、女子山岳部OG1名の参加希望があり、九州、東海支部会員の5名の方からはご仏前のご芳志が寄せられました。
当日は、関東地域以外での降雪がひどく、東海道・東北新幹線が大幅に遅延していたにも拘わらず出席者全員が、集合時間には横須賀線逗子駅に集まり、13:30タクシーに分乗して寺に向かい、小方夫人の出迎えを受け本堂へ参りました。
ご本尊の脇に飾られた遺影の前で読経、焼香の後、本堂脇の小高い丘を登りつめた所にある墓碑に花を手向け焼香し、お酒の好きだった故人に対し献杯をして帰途につきました。
3時頃より、小方さんが生前よく立ち寄っていたという、逗子駅近くのお店「日本料理はら田」にて会食を持ちました。まず、遺影に献杯をし、盛りたくさんの料理と酒を酌み交わしながら、文才豊かだった故人を偲び、生前の思い出を語り合い、奥様からもいろいろとブータンでの生活などのお話を伺うことができました。
宴は時の過ぎると共に盛り上がり、小方さんが歌詞をつけた「俺は同志社のボッカ隊、同じお前もボッカ隊、ど~ぉせ二人は同志社ではアタック出来ないボッカ隊・・・」などの山の歌が出るほど賑やかなものとなりました。
6時過ぎ、関西からお越しの乾・吉村両先輩がお帰りになった後も店に残り、8時前に奥様へご挨拶した後家路につきました。
後半の宴席はあたかもDAC関東支部の忘年会のような有り様でしたが、故人も久しぶりに昔の仲間に加わり、時を一緒に過ごしたことを喜んでいることと思っております。
参会者 : 小方夫人 鳥山(旧姓大須賀)正代(同志社大学女子山岳部OB)
DAC関係者 : 乾 好 下村 新一郎 吉村 公一 馬場 太一郎 長谷川 常雄
江上 康 伊東 正好 坂下 心一 上田 章二 今成 征三
山火 桂一 宮川 清彦 和田 豊司
関東支部長 伊東 正好
Posted on 14 10月 2005 by dacob
・日 時 平成17年10月2日(日) 午前8時半より
・場 所 奈良県十津川村神納川 レリーフ前
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・参加者 中村氏ご両親、妹様、太田山岳部長、森山元学生課長、大日副会長、
乾奈良県支部長、室野、山火、堀越、川田、河野、種村、福原、東口、
吹田、岩田(喬)、秋山、中川、田辺、伊藤、西田、林、吉田(陽)、西口、
千田、安谷、植田、長谷部、鈴木
十津川防犯協会長中南重計氏
土地所有者澤渡孝夫氏
〔32名〕
〔岩手県よりご両親、妹様の3名の遺族のご臨席を賜り、太田山岳部長、当時の森山学生課長
の出席をえて、また、地元の当時お世話になった中南重計氏およびレリーフの土地所有者(私有地)
の澤渡孝夫氏等32名の参列者で、好天に恵まれ盛大じ13回忌現地供養を行いました。〕
●中村慎吾氏は、平成5年8月奥高野、十津川水系神納川南股谷にて遭難。
奈良県支部長 乾 好
Posted on 14 10月 2005 by dacob
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(撮影:東口重信会員)
・日 時 平成17年10月1日(土) 午後2時半より
・場 所 奈良県 御所市の霊園墓地(近鉄・忍海(オシミ)駅より車で10分)
・参加者 平林会長・松村副会長・大日副会長・乾奈良県支部長・田尻・室野・
岸下・佐藤・川田・山火・堀越・河野・種村・福原・東口・小田垣 (16名)
《故、岡田啓二郎氏(昭和38年卒)は、サイパル峰遠征隊員として、またダウラギリⅠ峰
偵察隊長として活躍されました。
奈良県支部会員として奈良県御所市に自宅がありましたが、 平成8年10月13日に米国
にて逝去されました。》
当日は晴天に恵まれ、サイパル・同期・ダウラギリ・奈良県支部等の有志によって供養
いたしました。
奈良県支部長 乾 好
Posted on 21 9月 2005 by dacob
故岡田啓二郎君の墓詣と十津川、故中村慎吾君の13回忌参列
会員の皆さまには益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
以前から計画しておりました、岡田啓二郎君の墓詣と中村慎吾君の13回忌参列を兼ねて、奈良県支部主催で下記のとおり行いますので、ご参加いただきます様お願いいたします。
奈良県支部長 乾 好
記
1)日時&集合場所 : 平成17年10月1日(土)
☆午後1時、近鉄・橿原神宮前駅正面玄関
☆午後2時、近鉄・忍海(オシミ)駅(近鉄・御所駅手前)
*どちらでも良い
2)会費 : 15,000円(宿泊代その他)
*岡田君墓詣だけで日帰りの方は不要
3)準備 : 雨天決行に付き、雨具の用意およびハイキング・スタイル
で 願います。
岡田・中村両君のお供え花および線香は、奈良県支部
にて用意いたします。
「数珠」だけ持参のこと。
4)宿泊 : 藤井旅館(℡ 07466-8-0025)
(十津川、谷瀬の吊り橋の近く)
5)連絡先 : 天理市別所町350 乾 好 ℡ & Fax 0743-63-1288
または、川田(090-4302-5388)、 和田(090-3833-2468)
以上よろしくお願いいたします。
Source: 同志社大学 体育会 山岳部 公式ブログ | 同志社大学体育会山岳部
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Source: 同志社大学西北ネパール登山隊2010活動報告 |
週末どこ行く?
同志社大学西北ネパール登山隊2010 (N30°18′11″E82°07′44)