Posted on 31 8月 2011 by dacob
秋山監督含め、全13名で入山します。
ご都合よろしければ、BCにぜひ遊びに来てください。
============= 行程表 =============
【9/1(金)】
JR京都駅発(5:48)-JR松本駅(12:29)-(松本電鉄)―新島々(13:12)
新島々(13:25)-(バス)-上高地(14:30)
上高地-徳沢キャンプ場-横尾キャンプ場(泊)
※但し,時間の都合上,横尾までいけない場合は徳沢で泊.
【9/2(土)】
(徳沢)~横尾~涸沢(BC)午後からは岩稜歩行、支点構築演習
平田・頼母木:必要装備以外を他メンバーに渡し,荷上げてもらう。横尾から屏風岩へ、T4尾根を登った後、出来る限り(屏風の頭を目標)雲稜ルートを登りビバーク。
【9/3(日)】
涸沢~(ザイテングラート)~奥穂高岳~(吊尾根)~前穂高岳~奥穂高岳~涸沢(泊) 秋山監督入山
平田・頼母木:残りを登攀し、涸沢へ。
【9/4(月)】
[A]涸沢~Ⅴ・Ⅵのコル~(北尾根)~前穂高岳~(吊尾根)~奥穂高岳~(ザイテングラート)~涸沢(泊)
[B]涸沢~(東稜)~北穂高岳~(南稜)~涸沢(泊)
【9/5(火)】
[B]涸沢~Ⅴ・Ⅵのコル~(北尾根)~前穂高岳~(吊尾根)~奥穂高岳~(ザイテングラート)~涸沢(泊)
[A]涸沢~(東稜)~北穂高岳~(南稜)~涸沢(泊)
【9/6(水)】
涸沢~Ⅴ・Ⅵのコル~Ⅵ峰・Ⅶ峰・Ⅷ峰~屏風の耳~(パノラマコース)~涸沢 (登攀予備日)
【9/7(木)】
登攀予備日
【9/8(金)】
涸沢~横尾~槍沢ロッジ~槍ヶ岳~槍ヶ岳キャンプ場(泊)もしくは~殺生ヒュッテまで
【9/9(土)】
槍ヶ岳キャンプ場~西鎌尾根~双六小屋~双六岳~三俣蓮華岳~黒部五郎キャンプ場(泊)
【9/10(日)】
黒部五郎キャンプ場~北ノ俣岳~太郎平小屋~薬師峠キャンプ場(泊) 〔解散〕
【9/11(月)】
a)薬師峠キャンプ場~太郎平小屋~折立(終了)
秋山監督下山日
【9/12(火)】
縦走予備日
【9/13(水)】
縦走予備日
==============================
以上です。
(秋山監督からのご依頼で千田が投稿しました。)
Posted on 06 6月 2011 by ob
去る4月26日京都ホテルオークラにて、「遠き山 旅する心」と題してのお別れ会がしめやかに厳かに、そして和やかに行われました。
我ら吉村元会長のお人柄をそのままご遺族が表された葬儀でありました。
自然の草花を配した祭壇とそのバックには右に「ナムナニ峰」、左に「カント峰」の巨大な薄いブルーのモノトーン調の写真(高野晃輔会員製作)が掲げられておりました。

吉村元会長は殊の外現役学生を大切に、彼たちをこよなく愛された会長であられました。
会長として在任された期間(1982 ~1999)は山岳会の第2の黄金期を形成した期間でありました。
我々DACとCMAならびにAACKとの三者合同の納木那尼峰合同登山隊は、近年希に見る日中友好合同登山隊を会員一致団結した体制にて1985年成功へと導かれました。
1988年のカント峰の成功、91年日ソ合同カムチャッカ学術クリチェフスカヤ・ソプカ峰登山の成功。
しかし、93年奥高野での中村慎吾君の遭難という悲しいこともありました。
問題はその遭難後の部の再建における当時の若手OB間での、部の今後を思えばこその再建策の議論でありました。
98年ヤル・チャンポ河源流学術隊は残念ながらカキュ・カンリ峰の登頂は断念(2002年二次隊は全員登頂)。
しかし、吉村会長が激怒されたのは、その準備段階での幹事会においてカキュ・カンリ峰遠征を実行すべく議論に非協力的な意見に対してでした。
吉村元会長は今でもその意見に対しては許されてはおられません。誠に残念なことにこれらの意見対立が、吉村元会長が亡くなられるまでに会員同士が許し合い氷解出来なかったことを申し訳なく思うばかりです。
その後、現役を愛する会員の力並びに吉村会長のご努力により、田辺校舎内にDACクライミングセンター(2004年竣工)による効果、そして特に当時の松村監督の並々ならぬご努力により、現在現役の活動力は日本一といって良いほど立派な山岳部に育てられたのも、その陰には吉村元会長のお力があったことは間違いないことと思われます。
語ればまだまだ多くの出来事が走馬灯のように浮かび上がります。
会員皆様にその偉業とお人柄の一部をお伝えし、早すぎる吉村元会長(平成23年3月28日、享年78歳)のご逝去のご報告に代えさせていただきたいと思います。
こころからご冥福をお祈り申し上げます。
合掌
同志社大学山岳会
会 長 大日 常男
Posted on 01 6月 2011 by ob
恒例の支部総会を4月23日(土)「橿原ロイヤル・ホテル」で、13名出席のもと開催致しました。
今回は玉村元山岳部長ご夫妻の参加を得て、また、玉村夫人と同志社女子大学同期で友人の、同志社同窓会奈良県支部長であり、ヒマラヤの民族を研究し、ヒマラヤ・トレッキングを行っておられる高宮さんも加わっていただきました。
さらに、山岳会副会長・関東支部長の伊東さん、阪神支部より田尻さんの出席のもと、昨秋、チャンラ峰初登頂のスライドを小林隊長の上映と説明を受け、最後に同志社カレッジ・ソング、チェアーで締めくくらせていただきました。

後列 小林日博史 玉村三保子 高宮照子 石橋善雄 森本省三 舟戸武史
前列 乾 好 玉村和彦 室野 進 伊東正好 田尻 功 岸下勝亮 福田勝一
なお、今年に入ってから室野 進支部長が急に体調を崩され、支部長を辞退され新たに岸下勝亮(昭和34年経卒)新支部長が誕生したことを報告いたします。
また、以前より行われていた「ゴルフ・コンペ」を復活することとなり、石橋善雄(昭和47年商卒)さんが担当することとなりましたので、参加の方をよろしくお願い致します。
前 奈良県支部長 乾 好
Posted on 28 5月 2011 by ob
「DACについてや関東支部の今後の活動について話をしたい」と伊東支部長より呼びかけをいただいて、銀座の「がんこ」に集まりました。
支部長の計らいで6人の席が用意されていましたが、急用で里帰りしたメンバーや急の仕事が入って・・・などという理由で定刻に集まったのは、伊東支部長、加藤勇二さん、今成の3人でした。
「あと誰が・・・」というところに新メンバーの高野晃輔君が駆けつけてくれて、カンパイということになりました。
そしてフレッシュOBの鈴木天也君が加わってくれて

こんな感じで、新メンバー二人の近況報告から始まり
①支部活動やDAC全体を活性化・刺激出来るようなイベントが考えられないか?
②以前、関東支部が主催したような親睦会を企画したらどうか?
③京都で開催される「総会」の開催方法はマンネリではないか?
④「総会」に、主力たるべき中間層の参加がないのはどうしてなのか?
⑤会員が参加出来るような山行を計画できないか?
そんな疑問、意見が提起されました。
会則の- 3.目 的 - には、
「登山活動を通じ、会員相互の親睦を図ると共に、山岳部の適正な活動を助成し、その発展を図ることを目的とする」 とあります。
前半の部分の、「登山活動を通じ」というのに多少の疑念が生じますが、「会員相互の親睦を図る」ということにもっと焦点を当てるべきではないでしょうか。
- 10.総 会 - の項には、
「本会は春季と秋季に定例総会を開催し、適宜必要に応じて、臨時総会を開催する」 とありますが、
たとえば、年に1回春季に京都での開催を定例とし、あと1回は東海支部と関東支部あたりが持ち回りで担当し、親睦を目的とした「会」を開催したらどうでしょうか。
関東住まいの者が、年2回も京都で開催される総会に出席することは極めて困難なことです。同じ会員でありながら情報は、総会の議事報告でしか知ることが出来ない状況に疎外感(距離感)を感じているメンバーもいるはずです。
かつて、山岳部員が減少し途絶えた学年があったりして、「山岳部廃止論」といったことがいわれ、それに対抗して「維持論」とが衝突し、そこに出来たミゾが現在の中間層のOB会離れになっているなどということを洩れ聞いていますが、本当でしょうか?
この問題って、もう何年経っているのですか?
総会には、OB会員(会友等を除く)より学生の参加人数が多いというのは、まさにOB会の危機ではないでしょうか。
現役も人数は増えていることで、長年続いた危機を乗り越えたと思い勝ちですが、部員の内容は往時とは異なり、また今も存続/廃止が論じられるような状況にあるのではないかと危惧しています。
それは、室内オンリーの部員がいたり、雪山は親の反対があって躊躇わずのっけから不参加を表明する部員が複数いたりするのだと聞きます。
また、現在の学生は「勉強の合間に時間があれば活動をする」という気質の持ち主の集まりとも聞くと共に、授業に追われて合宿の時期がずれたり期間が短くなっているとも聞きます。
現実は受け入れるより仕方ありませんが・・・。
一度、OB会員の動静を、各卒年ごとにそのリーダーが責任者になっていただき、夫々報告を受けるようなことをしてみてはいかがでしょうか。縦の繋がりは途絶えていたとしても、横糸は切れていないはずですから。
また、山岳部員の名の下に、上記のような状態が続けば、先に述べたように「山岳部廃止論」が出てくるのではないでしょうか、是非とも討議していただきたいものです。
学生の意見も聞きたいものです。
何度か参加した総会の様子から推測すると、そこでの討議は難しいと思われますので、会長、副会長、支部長、参与といった中心の方々で話し合っていただき、詳しい内容の報告を伺いたいと思います。

’62卒 今成 征三 記
Posted on 15 4月 2011 by ob

家内と一緒の海外登山も、昨年のキナバル(4095m)、大姑娘(5025m)に続き今年はキリマンジャロへ行ってきました。
今回は10名からなるツアー(2月24日~3月7日)に参加し、初日は関空からドバイへの約10時間の旅でした。
25日はドバイからケニアのナイロビへ。
26日はナイロビから車でサバンナを走り、タンザニアの国境を越えてウサへ。
所々工事中の道を車が猛烈な砂埃をあげながら走り、窓から見える広大なサバンナにテーブルツリー(アカシア)が点在し、木の枝からハタオリドリの巣がたくさんぶらさがった様子は印象的です。

巨大なパオパブの木なども時折見ながら、この日はロッジに宿泊。

白い尾が特徴的なブラック・ホワイトコロブス(白い尾が特徴的な猿
キリマンジャロ(5895m)は、赤道近くにありながら山頂に氷河を抱き、世界各国から登山者が集まります。
登山口からは高度順応日1日を加えて6日間の登山です。
技術的な難しさはありませんが、熱帯から一気に氷河のある高さまで登る登山は、その高度と温度差が問題になります。
2月27日 登山口マランゲート(1800m)へ。ここでガイドとポーターに合流し登山開始。樹林帯の中を猿や鳥の声を聞きながらゆっくりと登行しマンダラハット(2690m)へ。
28日 きょうも樹林帯を歩き、ようやく見えて来たキリマンジャロの山頂部を見ながらボロンボハット(3670m)へ。

3月1日 高所順応日、近くをハイキング。

4000m付近で家内とツーショット
4000mを超えると木もまばらになり、デイクデイク(レイヨウ類)といった動物やサンバードの一種の鳥、また高さが4、5mもあるジャイアントセルシオといった植物を見ながら、強い陽差しの中を4700mにある最後の小屋を目指して、少しずつ高度を上げていきます。

3月2日 草原地帯からサドル地帯となる。山頂部を眺めながらの登行、キボハット(4703m)へ
3月3日 前夜11時30分に出発、眠気や寒さ、呼吸の苦しい中を一歩一歩と頂上に向う。ヘッドランプの明かりだけを見ながら、睡眠不足と高度と戦いつつゆっくりゆっくりの歩行です。
二枚の手袋をはめた指先が痺れるように痛く感じます。
約8時間ほどでギルマンズポイント(5685m)。 この頃には地平線が真紅に燃え、やがて太陽が顔を出します。
ここからは火口壁をまわり氷河を見ながら最高点ウフルピーク(5895m)まで1時間半ほどで到着。

山頂にてガイド君と、後ろが氷河
キリマンジャロの氷河も他の地域と同様に縮小しつつあるそうですが、近くで見るとまだまだ迫力があります。
頂上ではキリマンジャロ・コーヒーで乾杯!
その後、一気に2700mの小屋まで下り、翌日は登山口まで。
下山後はサファリを楽しみ ナイロビ⇒ドバイ経由で関空へ。
1965年卒 阪神支部長 水落 和洋