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極西ネパール登山隊が日本を出発

西ネパールの山に挑む「同志社大学極西ネパール登山隊2023」がネパールに向けて出発しました。2017年の挑戦に続き極西ネパールの未踏峰Lama峰(6527m)に再び挑みます。

関西空港に遠征隊を見送りに行ってきました。

遠征に向けて皆がハードな訓練で備えてきました。無事に登って帰って来ることを願っています。

極西ネパール登山隊2023 極西ネパール登山隊2023

<リンク>

(記)近藤悠平

2023年度春季定例総会

2023年度春季定例総会

7月1日に2023年度春季定例総会が開かれました。ホテルオークラ京都にOB22名・現役部員17名の39名が集いました。 総会の開催は4年ぶりとなり、久々に顔を合わせたOBたちが喜びの声をあげていました。また現役部員が大勢いることに驚きの声が聞かれました。

黙祷の後、大日会長・横川山岳部長・太田前部長からの挨拶がありました。4年分の会計報告の後、同志社大学極西ネパール登山隊2023の隊員から今年夏の遠征の概要について発表がありました。

大日会長からは亡くなられた山岳会関係の方を偲ぶお言葉と、瑞宝中綬章受賞を受賞された太田前部長へのお祝いの言葉がありました。また、時期会長を小谷コーチにお願いすることが発表されました。 横川山岳部長からは現役部員や遠征に行く隊員たちに激励のお言葉がありました。太田前部長からは授賞の式典に参加され陛下の御会釈のエピソードのご紹介がありました。

現役部員にとってはこのような会で大勢のOBと話ができた機会は初めてのことです。世代は違っても山を通して話をして楽しく過ごすことができたとの声が聞かれました。多くのOBに支えられていることを実感できたようです。とても有意義な時間を過ごしていました。 二十歳未満の学生の胸にはお酒が飲めない旨のステッカーを貼られていたことに時代の流れを感じました。時代が変わっても山に対して熱い思いを持っている部員はいることは変わらず頼もしさがありました。

総会の最後には恒例のDoshisha CheerやDoshisha College Songがありました。現役部員はあまり慣れていないような印象もありました。ぜひこれからも場を重ねて慣れていってもらえると嬉しく思います。

(記) 近藤悠平

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太田進一先生 瑞宝中綬章 ご受章お祝い

この度、令和5年春の叙勲におかれ前山岳部長太田進一先生が「瑞宝中綬章」をご受章されました。このことを祝い7/1の総会に於いて添付写真の「海外製万年筆」を山岳会有志一同として贈呈いたしました。

山岳会有志一同

訃報 関東支部長中山和俊氏

訃報2023/1/9関東支部長中山和俊氏がご逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。

奥様のご心情を(内々にて諸事執り行う)を考慮しておりました。この度奥様より七七忌の法要を相営なまれたとの連絡を受けました。故に、会員諸氏には今になった事をご理解願います。

年末に、彼からコロナ禍と心臓疾患を患い久しくご無沙汰している事。すこし良くなったので、2023/1/28開催予定のスポーツユニオン祝勝会に参加したいとの、メールを受け取りました。(今にして思えば、彼は何かを感じ久しく行けてない京都へ行かなければと、感じ取ったのではないか?)

私は、ことのほか嬉しく思い。彼とは関東支部長しての苦労話や山の話の他、私の業界が造船舶用関係で、彼の家業が海運業でその方面の話も出来ると心から会話が盛り上がるものと心待ちにしておりました。

私への一報は秋山前監督から頂きました。斎場などをお聞きできないかと依頼致しましたが、その様な聞ける状況ではないとの彼の判断でした。従って、自宅宛に弔電を打つしかないと添付掲載の弔電を打ちました。ジョギング中急逝したとの事。下記に彼が我々に示唆した事を余談として記載します。

合掌




余談

散歩またはジョギングする際は、身分証明を出来るものを身につけて屋外に出る事。中山君の場合、警察は捜索願が出ている中山君が当該人物と同一か?の警察的判断の決め手は奥さんの証言プラス、家の鍵を持ってジョギングしていたのでその鍵が、自宅鍵と合致するか確認作業が必要であったとの事。

同志社大学山岳会会長 大日常男

ダウラギリ峰登頂50th記念会

このたび10月3・4日「和田山荘」にてダウラギリ峰登頂50th記念会を行いました。

出席者
川田夫妻、堀江、内藤、宮川夫妻、和田夫妻、大日。 9名参加。

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ダウラギリ登山50周年記念集会に参加の皆さんへ

去る10月3日・4日と蓼科高原「和田山荘」にお集まりいただき、ありがとうございました。
50年の時の流れを、つくづくと感じる参加の皆さんの容貌。当時、誰がこの50年後の各自の容姿を想像していたでしょうか。
しかしいつの間にか、見慣れた顔や声やしぐさなどを思い出し、懐かしくお話することができました。
 集会の始まりは全員で、今は亡き参加関係者の在りし日の思い出話をし、追悼の儀を行い、黙祷・・・。
その後、美味しいしゃぶしゃぶ鍋をつつきながら、酒を酌み交わし、話は尽きず、
ついには丁々発止の激論の場へと移りゆく様は、とても50年の隔たりを感じさせない
仲間たちの集まりの場となっていきました。
 私にとっても、久しぶりの活気に溢れた時間となり、圧倒されておりました。
 翌朝、清々しく心地よい空気に包まれた「和田山荘」。昨日の激論はどこへやら吹き飛んで、皆さんの顔も周囲の空気に溶け込んで、にこやかな笑顔になっていました。
さすがです・・・・。
朝食も心温まる雑炊が体全体を包んでくれました。
話は尽きないが、やがて一人去り、二人去り、いつまた会うことができるか分からないが、きっとまた会えることを信じて別れていく。
ご苦労さんでした。いい集会ができたと喜んでおります。
 集会の場を提供してくれ、またたくさんのご馳走を用意していただいた和田ご夫妻には感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

川田哲二より                    2020.10.8

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松村多四郎大先輩が2020年8月25日ご逝去されました

松村多四郎大先輩が2020年8月25日ご逝去されました。
8月28日告別式が地元の「家族葬のらくおう八幡ホール」喪主ご長男
松村太郎氏にて執り行われました。
会場が狭い事とコロナ禍の状況下の為、家族中心の葬儀を希望されましたので、
会員の参列は控える事とし、極少数の参列にとどめました。
山岳関係は同級生を中心に(植西武司先輩ご夫妻、佐藤和男先輩、川合愛明先輩、
上田彰二先輩ご夫婦)私、そして吹田佳晴ご夫妻でお送りいたしました。
写真と松村大先輩には本当にお世話になったお別れの弔電を掲載します。合掌

同志社大学山岳会 会長大日常男 2020.8.29

m1.jpg mお別れの言葉

阪神支部だより 六甲山ハイキングと忘年会

阪神支部だより
六甲山ハイキングと忘年会

令和元年12月15日、恒例のハイキングと忘年会を行いました。

ハイキングは阪急電鉄・王子公園駅から青谷道~摩耶山~天狗道~市ケ原~地下鉄新神戸駅の歩程約4時間コース。駅から約1時間30分登ったところに、太平記に登場する摩耶山城史跡があり、ここからは眺望が素晴らしく神戸から大阪市街地が見渡せました。山はまだ秋一色の紅葉が残っており晩秋のハイキングでした。

メンバーは大澤(S40卒)、下村(S50卒)、高(S61卒)、小田垣(S43卒)の4名。

下山後はいつもの通り、神戸クアハウスで汗を流し忘年会は、弓庭さんが贔屓にしているお店を貸し切り総数12名で食事とカラオケの楽しい一夜を過ごせました。

(記)小田垣

写真 六甲山ハイキング

2019年度秋季定例総会 in 蓼科高原

同志社大学山岳会のOB総会が11/30にありました。
蓼科高原にある和田OBの素敵な山荘で開かれました。
午後から徐々に集まり、散策したり薪割りしたり。

夕方からはしゃぶしゃぶ、最高級霜降り肉~😍
子どもと階段でクライミングの練習してみたり。
外は満天の星!外に出したワインもキンキンに冷えてました。

そして現役須見くんから活動報告。
スキーの動画にみんな「うまいな~!」
ロクスノ2019年9月号に夕張山地での登山記事が掲載されました。

平林さんの高地で生き残る細胞と、ミイラ化して戻る細胞の話、山と仕事の両立の話、ネパールとインドの話など、なんと貴重な話でしょうか。

大日さんの当時の海外遠征の資金集めやエジプトでの戦争勃発の話など、現役には励みになったことと思います。

和田さんの友人でネパール人のラジャンさん、海外遠征では登山許可など大変お世話になっています。今回わざわざ東京からいらしてくださり、貴重な情報をくださいました。

幹事をしてくださった杉崎さん、場所から食事まで提供くださいました和田さん、みなさまのおかげで素晴らしい会となりました。ありがとうございました。

千田 尚子

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阪神支部だより 北山ハイキング(八丁平~峰床山~鎌倉山)

阪神支部だより

北山ハイキング(八丁平~峰床山~鎌倉山)

令和元年年11月10日(日)江賀谷を遡って中村乗越から八丁平を経由し峰床山(970m)から鎌倉山(950m)コースを縦走するハイキングに行ってきました。湖西線堅田駅から約40分ほどの紅若バス・葛川学校前で下車後、すぐに江賀谷に入り、谷は何回も渡渉の多いところでした。水量は多くはなかったのですが、台風19号の影響か倒木が多くありましたが紅葉時期に重なってか素晴らしい展望を満喫できました。

峰床山(970m)頂上からは北東方面にある鎌倉山(950m)を目指しましたが、踏み跡が不明で高度なルートファイディングが求められるハイキングになりました。2.5万1の地図は必携になります。坊村までの約6時間のハードなハイキングとなりました。

メンバーはハイキング企画の幹事・木村さん('74卒)、大澤さん('65卒)、
松村さん('73卒)、大塩さん('74卒)、下村さん('75卒)、小田垣('68年卒)計6名。

写真 北山ハイキング

写真 峰床山1

写真 峰床山2

(記)小田垣

8/12(月)~8/13(水) 穂高・屏風岩の「雲稜ルート」を登りました。

8/12(月)~8/13(水) 穂高・屏風岩の「雲稜ルート」を登りました。
 
 お盆に穂高で継続登攀を行うべく宇野(18年卒)と西村(会外)、仙田(17年卒)で登攀へ行ってきたときの計画について記録する。結果としては、現地へいったものの、台風と体力的な問題から早々に下山してきた。唯一、屏風岩の雲稜ルートが登れたのでその記録を記載する。感想としては体調管理が出来ていなかった部分もあったのか、突破力が衰えているように感じた。しかし登攀終了後の悪条件の中でメンタル、体力が維持出来ていたので、経験値による部分は衰えていないことが確認できた。故に自分に足りないものとしてはクライミングの突破力であると痛感した。

T4尾根取付の手前から屏風岩
↑T4尾根取付の手前から屏風岩

Day1;8/12(月) 8:30京都~12:30高山~15:30上高地~18:00横尾(泊)
 京都から上高地まで行く場合、直行バスも存在するが高い。そのため京都~高山、高山~上高地の濃飛バスを利用する方が得策であった。予約は1ヶ月前にはすませておく必要がある。乗り心地は良かったが、お盆の初めだけあって渋滞に巻き込まれ、予定到着時刻を大幅に過ぎてしまった。そのため高山バスターミナルでの乗り換えでは怒鳴られながらダッシュで乗り込む結果となってしまった。しかし無事に上高地に到着。上高地に到着すると弟たちが河童橋付近で待っていてくれた。僕、弟、宇野くんで記念撮影後、横尾まで向かう。上高地から横尾までが意外と長く観光客から奇異の眼差しを受ける。途中の徳沢で西村くんと合流。横尾に到着したのは18時頃となった。

写真_河童橋前にて大量の荷物とともに記念撮影
↑河童橋前にて大量の荷物とともに記念撮影

Day2;8/13(火) 4:00横尾~5:00T4取付~7:00屏風岩・雲稜ルート~18:00終了点周辺(ビバーク)
 台風が3日後に迫っている予報を確認しつつも継続登攀を続行するべく朝3時に起きて4時に出発した。睡眠はあまり取れなかったため、朝がとても苦痛であった。少し懸念していた梓川の渡渉は問題なく通過し、約1時間でT4尾根の取付に到着。さてここからが登攀となる。T4尾根の取付付近にはテントが張れそうな箇所(草付き地帯)があったが、落石の危険もありそうだった。日が登ってきて屏風岩の全景が見えると、宇野、西村は口を揃えて言った。「屏風岩ちっちゃくないっすか?」彼らは一般的に大岩壁とも言えるこの岩でさえ小さく見えてしまう目を持っていたのだ。ちなみに筆者はその大きさよりも草が結構生えている点に驚いたw

写真_屏風岩T4尾根の取付に向かう我々
↑屏風岩T4尾根の取付に向かう我々

1P目:50m/Ⅳ (宇野)
 T4尾根は通常2Pあるが、60mロープを持っていったのでリンクさせることができた。ビレイ点は予想していたよりも悪く、下部がリングボルト×2つ、上部終了点はそれに加えてカットアンカーが一つといった構成だ。いずれにせよボルトが外れて滑落しても、「そりゃそうだな」というような状況である。ランナーは残置ハーケンに加えて、一部カムを取ることもできた。リードは空身でないとかなり厳しいクライミングとなる。

写真_1P目(T4尾根)を登りだす
↑1P目(T4尾根)を登りだす

~コンティニュアス:長距離
 1P目以降はロープをつける必要がないと考え、ロープをしまい込む。しかし、要所要所で危険な箇所があったのでスリングを延長させて解決させた。30分くらいすると実質の雲稜ルートの取付に到着する。ここでも幕営することができそうだが、やはり落石が危険である。少し水分補給をしてからスタート。

2P目:50m/5.7 (仙田)
 顕著な凹角沿いに登るピッチで基本的に無数の残置ハーケンから支点を取るが、カムを設置することもできた。グレードとしては5.7とあるが、アルパインクライミングの5.7はフリークライミングのそれと別物であることを改めて実感した。終了点はテラスでは取らず手前の不安定な場所で取ってしまった。理由はカムから確かな支点が取れる箇所であったからだが、後方からのパーティのことや安定性のことを考えると、もう一段上のテラスでピッチを切ったほうが良かったかもしれない。フォローは荷物が重すぎることに加えて、雨蓋があるせいで上を見ることができないため苦戦していた。ホールドを手探りで探して登ってきていた。ちなみにリードした私は核心部で力みすぎたのか、かけていたサングラスのレンズ部分のみが取れて岩壁の下まで落ちていった。

写真_2P目の凹角
↑2P目の凹角

3P目:40m/5.9 (西村)
 このピッチは最初トラバースをするため、フォローの振られ防止のためのランナーを各所で取る必要があった。トラバースを終えるとカチのフェースを直上する。ハーケンでランナーは取れるが緊張感があるピッチだった。うまく突破してくれたなと思った。終了点は扇テラスで切った。扇テラスは2人用テントが一張り張れるくらいのスペースがあった。落石の危険性はこれまでの幕営適地よりは少ないと考えられる。

写真_3P目の激しいランナウト
↑3P目の激しいランナウト

4P目:40m/Ⅳ+,A1 (5.11c) (宇野)
 人工登攀のピッチである。ボルト間隔は下部は短いが上部ではところどころ遠いところもあった。殆ど人工登攀のピッチでクイックドローが大量に必要となる。我々は13本持っていったが、それでは足りず下部で使用したものを回収しながら解決させた。終了点はリングボルト2つとカットアンカー(オールアンカーだったかもしれない)だ。このピッチではフォローは鐙を1つとスリングを用いて突破する予定だったが、鐙は2つないと登ることができない。途中で1人は人工登攀、もう1人はユマーリングに切り替えたが、ユマーリングはかなり大変そうだった。その結果としてこのピッチでは合計で2時間近くかかってしまった。

写真_人工登攀で登る4P目
↑人工登攀で登る4P目

5P目:40m/A1 (5.9) (仙田)
 この辺りから水分が最低限も取れていないことを感じ始めた。しかし同時に太陽が壁に隠れ始め、風が吹いていたため節水しながら登る方針とした。このピッチは出だしが難しく私は鐙を使って突破した。それ以降はトラバースなのだが、とても悪い。ところどころに残置ハーケンはあるが、岩・土・草が入り混じった部分だったので落ちない保証はない。何とか数m進むとあとはルンゼ状の簡単なパートに出る。終了点はルンゼから右上奥に入った安定したところの前にあったリングボルト2つと近くの木を合体させて作った。フォローは荷物が多くかなり苦戦したようだった。

写真_5P目の出だしは人工を使った
↑5P目の出だしは人工を使った

6P目:40m/5.7 (仙田)
 ビレイ点から一段下がってから顕著なスラブのクラック沿いに登っていく。クラック沿いであるが、ところどころにハーケンがあり支点はカム以外でも取ることができる。このピッチの終了点はスラブ途中のクラックが途切れた辺り。リングボルトが2つの終了点があったので、それに加えて近くの木とカムからもバックアップを取り終了点とした。


7P目:40m/Ⅳ+(西村)
 花崗岩 (屏風岩は白亜紀末-古第三紀初期の花崗岩) のスラブであるが、フリクションはそんなに効かない。徐々に砂っぽくなっていき終了点はリングボルト2つ。懸垂下降をする場合はこの辺りから懸垂をするのだと思うが、懸垂点としては危険すぎる。


写真_7P目は花崗岩スラブ
↑7P目は花崗岩スラブ

8P目:40m/Ⅲ (宇野)
 ここからは基本的に砂っぽい上に落ちられないクライミングとなる。支点も殆ど取れないがクライミング自体は比較的簡単であった。またしても終了点はリングボルト。フォローも落ちることは許されない。

9P目:15m/Ⅲ+ (仙田)
 少し上に平らな土地がありビレイ点から一段上に上がった。砂っぽいスローパーを掴みマントルを返すところが非常に怖い。ランナーは足よりも下にある腐ったリングボルトであったため緊張した。それを終えると平地に出て適当な木でビレイした。このとき屏風の頭への抜け口を探したが、どうやら左に見えるガリーを詰め上がるようだ。

写真_9P目の登攀では支点が取れないため覚悟が必要だった
↑9P目の登攀では支点が取れないため覚悟が必要だった

10P目:40m/Ⅲ (宇野)
 時刻は間もなく18時になろうとしていた。すぐに暗くなることを考えヘッドランプを取り出し準備。実を言うとこの時点では抜け口がこのラインなのかわからなかった。とりあえず上部まで行ってダメならビバークをするつもりで臨むと、ガリー上にフィックスロープを発見。またリードが登攀終了すると同時に夕立が降ってきたため急いでフォローは登った。

写真_雲稜ルート最上部10P目の登攀の様子
↑雲稜ルート最上部10P目の登攀の様子. 岩に人工的な白丸のマークを見たが偶然できた丸であった。

予定では屏風の耳付近まで行く予定であったが、暗くなり踏み跡も明瞭でないため適地でビバーク。水もないため食料も摂取することなく眠りに就いた。

Day3;8/13(水) 5:30出発~6:30尾根~8:00屏風の頭~パノラマコース~13:30新村橋~17:30上高地
 夜は思いの外眠ることができ体力は回復したような気がした。しかし行動を始めるといつもより力が入らない。心配していたルートファインディングは問題なくでき、2Pくらいで屏風の頭への尾根に乗ることができた。そこからはひたすら1時間半程藪こぎ。途中ブルーベリーが成っていたため補給する。びしょびしょになりながら藪地帯を突破すると屏風の頭に出た。

写真_屏風の頭までの尾根
↑屏風の頭までの尾根では激しい藪こぎを強いられた。

写真_屏風の頭にて記念撮影
↑屏風の頭にて記念撮影
 
ここで東稜を登ってきた水戸のパーティと会話をし一緒に食事などもしてパノラマコースを下山。あとは殆ど外界と変わらない上高地までの道を進んで終了。
帰りは錫杖岳に行っていた秋山さんたちに声をかけ京都まで送ってもらった。


写真_屏風岩登攀の記録
↑屏風岩登攀の記録(全てのビレイ点には残置スリングと懸垂用残置ビナが用意されていた)

(記)仙田
プロフィール

dacob

Author:dacob
同志社大学山岳会は同志社大学体育会山岳部のOB会です。

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こちらから原稿を送信するか近藤(2010年卒)までご連絡ください。確認・校正の上掲載します。
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